西行出家をめぐる謎
西行は保延6年のこの日、23歳の若さで突然出家した。北面の武士として仕えた西行はなぜ出家したのだろう。西行、俗名を佐藤義清(1118-1190)という。鳥羽上皇に北面の武士と仕えたので、平清盛と面識があったと考えられるが資料としては残っていない。西行と頼朝とは面識があったことは証明されている。西行が出家隠遁したのは、保延6年、23歳のときで、動機については古来諸説ある。①友人が急死し、無情を感じたという説②待賢門院璋子に失恋したという説③崇徳天皇への同情。
①の無常観説は、明日を約束して別れた同僚が、次の日家を訪ねてみたら死亡していたという。そして、家に帰ってみたところ、4歳になる娘が喜んでむかえてくれた。かわいいと思ったが「この思いが煩悩だ」と悟り、娘を縁の下へ蹴落とし、自ら髻を切って出家したという。②の失恋説は、女性と一夜を共にしたが別れぎわに「これきりですよ」と言われ、身分違いを痛感、世俗の秩序から離れようと出家したという。③の説は、保延6年は崇徳天皇の帝位失墜の前年であり、皇位交替をめぐる宮廷内部の情勢に義憤を感じたという。
50年間、自由な身で自然を愛し、四国・九州・奥州行脚と漂泊の旅を続けた。(10月15日)
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