遠島配流、悲劇の日本史
戦に負け、政争に敗れ、絶海の孤島に流された貴人・英雄が日本史には幾多いる。日蓮、世阿弥は佐渡に流されている。保元の乱に敗れた源為朝は伊豆大島、関ヶ原の役で敗れた宇喜多秀家は伊豆八丈島に流され、在島49年で死去した。八丈島の流人明細表を見ると日蓮宗不受不施派の僧の流人が多い。
1221年の承久の乱で隠岐へ配流となった後鳥羽上皇は、在島19年この地で生涯を閉じた。1333年、隠岐へ流罪となった後醍醐天皇は、翌年に無事脱出に成功。1177年、鹿ヶ谷の謀議で九州の南の鬼界ヶ島流罪された俊寛は在島3年で死去した。悲惨な死を遂げた俊寛の物語は、能の「俊寛」や、歌舞伎の「平家女護島」に取り上げられて、広く知られている。西郷隆盛は1859年、奄美大島へ、3年後には沖永良部島と2度も島流しに遭っている。
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