ホロコーストとポグロム
ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」というナチスの強制収容所での体験記録が出版されて半世紀以上、世界中で読み継がれてきた。本書に「ユダヤ人」も「ユダヤ教」も、ただの一度出てこない。それはユダヤ人に対しての虐殺ではなく、人類そのものへの悲劇として、自己の体験を提示したのだと言う。
ホロコーストとは元来、ユダヤ教の燔祭(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で、のちに転じて火災による大虐殺、大破壊を意味するようになった。現在では、第二次世界大戦中のドイツがユダヤ人などに対して行った大量虐殺を指す。ホロコーストの犠牲者数は諸説あるが、900万人から1100万人にも上るといわれる。欧米ではヒトラーを嫌うあまり改名や改姓をする人がいる。欧米では、戦後アドルフというファースト・ネームを息子につけた親はほぼ皆無に近い。ドイツやオーストラリアでは「ホロコーストがなかった」と発言することを違法行為と定めている。特にアメリカではメディアを牛耳るユダヤ人の力は絶大で、ヒストリー・チャンネルでは、ほとんど毎週必ずホロコーストや第二次世界大戦に関するドキュメンタリーを放送している。
20世紀初頭には、「ポグロム」という「破壊」を意味するロシア語が世界語になるほど、ユダヤ人に対する弾圧が酸鼻をきわめた。大規模なポグロムは過去3度あったといわれる。1648年から1657年までの間にウクライナに起こったコサックのボグダン・フメリニツキー(1595-1657)の乱のとき行われたもの。ユダヤ人迫害史の中でも最悪の事件の一つである。1881年アレクサンドル2世暗殺事件ののち南ウクライナで行われたもの。そして1903年から1907年にかけてロシア国内284個所以上で行われたもの。
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