ノーベル賞の季節がやって来た
免疫学の研究で大阪大の坂口志文特任教授がノーベル生理学・医学賞を受賞した。そして京都大学の北川進教授もノーベル化学賞を受賞した。今年こそは村上春樹のノーベル文学賞が実現するか期待が高まった。東京荻窪のブックカフェ「6次元」に集まったハルキストたちが文学賞の発表を見守る。しかし残念ながら今年も受賞ならず。「また来年ね!」今年はハンガリーの作家、クラスナホルカイ・ラ―スローさんが受賞した。いつごろからか村上春樹のファンをハルキストと呼ぶ。村上の小説やエッセイから伺える趣味や生活スタイルに影響を受けることが多い。映画・文学・音楽・料理・マラソン・水泳・猫など都会的で冷めた感じの若者をイメージさせる。とくに団塊の世代以降に多く、戦前・戦中派は村上文学などはほとんど読まない。かつて村上といえば村上元三だった。このようなハルキストの存在を村上自身がどのように感じているかは分からない。代表的ハルキストとして内田樹がいる。彼は「村上春樹は世界的に人気があるから偉い。だから普遍的で、とうぜんノーベル賞に値する」とつねづね語っている。世界中でたくさん本が売れるということと、文学としての価値があり、永遠性があるかという問題がイコールとして捉えられるかは疑問である。本がよく読まれる、売れる、商業的な成功が全てという考えにはむしろ反対する人も多いのではないだろうか。ある意味で内田のような単純な文学観を語る人は幸せなのだろう。司馬遼太郎が時代物の大衆作家から国民的文豪といわれるようになったころ、関西大学の谷沢永一がやたらと司馬をほめあげて、解説本をたくさん出すようになった。芸術家一般に売れずに必死に書いているときはいいものが生まれるが、地位と名声、お金がたまって大家になると保守的になってつまらなくなる。ハルキストや谷沢のような存在は迷惑だが、村上にとってノーベル賞をもらわないことのほうが作家として幸運だと思いたい。村上以外にも、海外では多和田葉子や小川洋子のように日本人の作家が高く評価されており有力候補である。
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