パリの凱旋門
パリの凱旋門(アルク・ド・トリヨーンフ)はカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門、デファランスのグランド・アルシュなど5つ存在するが、単に凱旋門といえばエトワール凱旋門を指すことが一般的である。ナポレオン1世によって発案された凱旋門は、ジャン・シャルグラン(1739-1811)の設計により着工から30年を経た1836年7月29日、ようやく完成した。つまりナポレオン・ボナパルトは生涯一度もこの凱旋門をくぐることはなく、1840年に棺に入ったままやっと凱旋門の下をくぐることができた。高さ50m、幅45m、無名戦士の墓がある。
シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延びており、その形が星(エトワール)のように見えることからエトワール広場(現在の正式名称はシャルル・ド・ゴール広場)と呼ばれた。通りは時計回りに、シャンゼリゼ、マルソー、イエナ、クレベール、ビクトル・ユゴー、フォッシュ、グラン・アルメ、カルノ、マクマホン、ワグラム、オシツュ、フリードラン。このうち日本大使館があるのはオッシュ大通りである。フランス革命ゆかりのコンコルド広場から一直線に凱旋門に通じるパリ最大の目抜き通りシャンゼリゼ通りは、プラタナスやマロニエの並木が美しく、カフェ、レストラン、銀行、劇場、ホテルなどさまざまなオフィスが並び、歩道のカフェテラスは恋人たちや観光客でいつもにぎわっている。シャンゼリゼとは「至福の野」という意味で、この名がついたのは意外と古く、1670年のことである。造園家のル・ノートルがコルベールの依頼でチュイルリー公園を作った折に、ここから城外への乗馬のため、草ぼうぼうの、野菜もまじる野原に、一本の道をつけたのであった。この道が、のちに凱旋門の建てられる丘からさらにポン・ド・ヌイイにまで延長されたのは、1774年のことである。しかし18世紀のシャンゼリゼは、泥と埃の地のひどい道であった。シャンゼリゼ大通りが繁栄し出したのは1828年、国からパリ市へと移管されてからのことである。以後、歩道にはアスファルトが張られ、1200のガス燈が設置され、カフェ・レストラン・劇場その他が立ち並ぶようになる。(参考;木村尚三郎「パリ」、Napoleon,Arc de triumphe,Champs Elysees,Jean Chalgrin,Carnot,Mac Mahon,Hoche、世界史)
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エトワール(星)とは、エッフェル塔と並びパリの象徴みたいなもの。
凱旋門の発案者はナポレオン一世だったという話ですが、彼は一度もくぐったことなく生涯を終えたというのは、面白い逸話ですね。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年1月18日 (金) 14時40分