ラクロス選手だった志賀直哉
ラクロスとは、クロスと呼ばれる網のついたスティックを抱えてボールを相手陣のゴールに入れることで得点を競う球技の一種。北アメリカの先住民の儀式であるか、17世紀にフランス人が入植するようになると、これをゲームとして発展させた。 一般に定説として、日本におけるラクロは昭和61年に慶應義塾大学で初めてチームが作られたのがはじまりとされている。ところが実は明治の終わりころに既に日本に伝わったことが近年明らかとなっている。明治34年の秋、学習院の近衛篤麿、副島道正の寄付により、ラクロスが開始された。(「輔仁会雑誌」)ラクロス部には志賀直哉がいたという。ところが数年後にはラクロス部は廃止されている。その理由は判然としないが、明治40年に学習院院長に就任した乃木希典が球技を好まなかったためといわれている。志賀の小説「濁った頭」には、「運動が好きで、ベイスボール、テニス、ボート、器械体操、ラックロース、何でもしました」とある。
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