誤解された「もはや戦後ではない」
1956年7月17日に発表された経済白書の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して「もはや戦後ではない」として「回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」と結んだ。この言葉は経済企画庁の調査課長であった後藤誉之助(1916-1960)が用いたとされる。しかし言葉の初出は、評論家、中野好夫が文藝春秋2月号に掲載されたエッセー「もはや戦後ではない」である。
ところで、この「もはや」という語は、日本が復興期から脱して、神武景気に沸く明るい未来を目の前にした状況を表現したものと誤解されることが多いが、当時の「もはや」に込めた認識は今日的解釈とは正反対で、「今までは戦後復興ということで、成長の伸び代が多大にあったが、戦前の生産水準にまで回復してしまった以上、この先、この成長をどうやって続けたらよいものだろうか」という不安な思いが込められている。
では、なぜ「もはや戦後ではない。油断せずにこの成長を持続しなければならない」という警告を正しく受け止められなかったのか。世論やマスコミ、大衆メディアにも責任はあるだろう。同年3月に発表された石原慎太郎の「太陽の季節」がベストセラーとなり、神武景気とも重なり、太陽族といわれる享楽的な若者が流行していた。このような享楽的な社会傾向が、経済白書を誤解したのではないだろうか。
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