
森鷗外墓(津和野)
森鴎外はその死に当って、賀古鶴所に遺言を口述した。「余は石見人森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎の外一字もほる可からず。栄典は絶対に取りやめを請ふ」と厳命している。実際には従2位勲1等が贈られている。
大正11年7月9日午前7時、千駄木の自宅にて没した。腎委縮、肺結核。享年60歳。12日、谷中斎場で仏式により、葬儀、翌13日、日暮里火葬場で荼毘に付し、向島弘福寺に納骨された。その後、分骨され郷里の永明寺(島根県鹿足郡津和野町)にも墓がつくられた。現在、三鷹の禅林寺にある鴎外の墓は、弘福寺から昭和2年に移されたものである。
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ありがとうございます。毎日訪問が楽しみです。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年7月10日 (水) 22時05分