サイパン玉砕

日本軍の南方の防衛線であったマリアナ諸島のサイパンは、昭和19年6月15日にはアメリカ軍が上陸し、日本軍との激しい戦闘となった。7日、日本軍守備隊は玉砕し(バンザイ突撃)、2日後の7月9日、サイパンの日本軍部隊は完全に全滅した。サイパンの戦は、アメリカ軍が太平洋戦争で初めての多数の民間人と遭遇した戦闘であった。日本人民間人の死者はおよそ8000人と推測されている。同島に航空基地を確保した米軍は、日本本土への本格的な空爆の準備が着々と進められた。
太平洋戦争中、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦など主要な海戦の指揮をとった南雲忠一の名前は広く知られている。真珠湾作戦での詰めの甘さを指摘されることが多いが、南雲の最期についてはあまり語られることは少ない。サイパン迎撃作戦の指揮をとり7月6日に自決した。(一説に翌7日)。国立国会図書館憲政資料室には南雲忠一文書として日記、ノート等6点が収蔵されている。(参考:児島襄「悲劇の提督」)
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