キリスト教の伝来
天文18年(1549年)7月22日、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552)が6人の弟子(パウロ・ヤジロウ、ベルナルド、ロレンソ、マテオ、コスメ・デ・トルレス、フェルナンデス・ジョアン)と共に鹿児島の坊津に上陸した。ザビエルはスペイン・ナバラ生まれのバスク人。ザビエルを同地に案内したのは弟子の一人アンジロー(安次郎。弥次郎とも)だった。薩摩出身のアンジローは殺人を犯してマラッカに亡命していたところを、ザビエルと知り合った。アンジローはザビエルに従い、インドのゴアに赴き、ラテン語やキリスト教の教義を熱心に学んだ。鹿児島では当初、島津貴久の保護を受けて菩提寺福昌寺境内などで布教活動を許され、アンジローの知人や親類をはじめ、150人が洗礼を受けた。後には仏教徒からの妨害と、貿易に伴なう利益に期待した貴久の落胆から、キリスト教への改宗は禁止されるに至った。
10か月の鹿児島滞在後、ポルトガル船の平戸入港に伴ない、同地に赴き、さらに山口、泉州堺を経て京都に入ったが、状況はザビエルの布教活動を拒否するものだった。以後、山口の大内氏や豊後の大友義鎮(宗麟)に庇護を求めて、布教活動を行なった。天文20年11月20日にザビエルの乗ったポルトガル船は沖の浜からゴアに向けて出帆した。ザビエルの日本滞在はわずか2年3か月だったが、布教活動が我が国のその後に与えた影響は決して少なくない。今時の教科書では「フランシスコ・シャビエル」とスペイン語読みが併記されている。(Francisco Javier 、Francis Xavier)
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