三日天下
天正10年のこの日、明智光秀は山崎の戦いで敗れ、敗走中に小栗栖で落武者狩りの百姓・中村長兵衛により竹槍で脇腹を刺される。重傷を負った光秀は、家臣の溝尾茂朝に介錯を頼んで自害する。溝尾茂朝は、光秀の首を近くの竹藪へ埋めたとも、丹波亀山の谷性寺まで持ち帰ったとも、坂本城まで持ち帰ったとも諸説ありわからない。「兼見卿記」によると、光秀の首は、織田信孝に差し出されたとある。光秀の短命政権から「三日天下」と呼ばれている。実際は本能寺の変から、殺害されるまで11日間あった。光秀は9日に細川氏あての手紙で「50日100日の間には近国を平定し、自分は隠退する」と書き、短期間で敗北するとは思っていなかった。(6月13日)
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