天覧試合でサヨナラ本塁打
1959年のこの日、昭和天皇、皇后両陛下のプロ野球初の天覧試合があった。両陛下が観戦されるとあって、伝統の一戦「巨人-阪神」が行われた後楽園球場は、試合前からいつもと違った特別なざわめきに包まれていた。試合は巨人が藤田元司、阪神は小山正明と両エースの先発で始まった。阪神が先制すると、巨人が逆転する白熱の攻防が繰り広げられ、4ー4の同点のまま9回裏、劇的な幕切れが訪れる。阪神のマウンドには村山実が上がっていた。実はこんなエピソードがある。9回になったとき、時計の針は21時をわまわっていた。天皇皇后両陛下が観戦できるのは21時15分まで。延長に入れば試合の途中で席を立つことになるだろう。やはり9回でケリをつけなければ、そして、午後21時12分。9回裏、先頭打者の長嶋が打席に入った。長嶋は2-2からのインハイの直球をフルスイング。球は左翼席のポール際に吸い込まれたのだった。劇的なサヨナラホームラン。両陛下は試合結果を見届けたうえで後楽園球場をあとにした。試合後のインタビューで長嶋は「この感激は一生忘れません」と語った。
なぜこの試合が歴史的な意味をもって語られるのだろうか。大相撲では「天覧試合」は明治以来何度も行われた。大学野球の早慶戦や都市対抗野球でも「天覧試合」が行われていた。しかしプロ野球の「天覧試合」はこれまで一度もなかった。この年4月10日に皇太子明仁親王のご成婚があり、世紀の祭典はテレビ中継された。1年前は91万台にすぎなかったテレビが一挙に200万台を突破した。この日のナイター中継はNHKと日本テレビが放送したが、この試合を見た視聴者もさぞかし多かったであろう。ちなみに日本テレビのアナウンサーは越智正典は今年4月に96歳で死去した。そして長嶋は6月3日に89歳で死去した。この年9月には第18回オリンピック東京大会が決定し、日本は高度経済成長の始まりを迎えていた。 2025年、天覧試合で長嶋と共に闘った小山正明、吉田義男も同じ年に亡くなっているというのも不思議なめぐりあわせである。(6月25日)
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