ふるさと山形
戦国時代の末に、山形城を根拠とする最上義光によって統一され、現在の山形県域がほぼ確定した。「忠臣蔵」の吉良義央の長男綱憲が15万石に減封されて廃藩置県まで続いた。中興の祖、上杉鷹山は、もともとは日向(宮崎県)の人だが、上杉家に養子に入り、米沢織など殖産興業によって藩財政を立て直した。幕末の攘夷論者、清河八郎の日記・詩文などを展示した清河八郎記念館は東田川郡立川町にある。山形訛りの喜劇俳優、伴淳三郎は米沢の南画家の息子。山形といえばサクランボの収穫量全国一である。佐藤栄助(1867-1950)は「佐藤錦」という高級品種をつくり出した。
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