阿部定事件
阿部定は戦前の日本国民の間では超有名人だった。どんなに有名だったかというと、昭和11年というのはニ・ニ六事件が起こった年であるが同じ年の5月18日に起きた阿部定事件のほうが国民の関心は遥かに高かったという一事からもわかるであろう。阿部定が細面の美人と報ぜられ、日本中がその話題でもちきりとなった。阿部定は明治38年神田の畳屋の娘として生まれ、芸者や娼婦として各地を転々とした。32歳当時東京中野の鰻屋「吉田屋」の女中として入り、石田吉蔵と昵懇になる。まもなく不倫関係となり吉蔵を絞殺し、東京から逃走し、3日後の20日に捕まった。大阪駅にいた、横浜に飛んだ、いや広島だ、仙台だと怪情報が錯綜した。阿部定逮捕の様子はこうである。高輪署の安藤部長刑事は管内の旅館をしらみつぶしに調べた。「お定さんだね」女はこっくりうなづいた。もう逃れられないと覚悟して「夜になったら死ぬつもりでした」と語った。「例のものはどうした」と聞くと、定は帯の間から、ハトロン紙包みをとり出し、それを大事そうにみせただけですぐにしまい込んでしまった。定は「あの人が好きでたまらないから殺した。殺してしまえば他の女が指一本触れなくなるから」と供述している。後年、この事件は、渡辺淳一「失楽園」でも重要なモチーフとして取り上げられ大ベストセラーになった。現在阿部定の消息は1974年以降不明で墓も戒名もわからない。
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