沖縄本土復帰記念日
1972年のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄は日本に返還され、沖縄県としてスタートした。沖縄本土復帰から53年が経つ。重い基地負担問題やさまざまな課題が残る。大江健三郎の著書「沖縄ノート」に、あるアメリカ政府高官に日本地図を書かせたら、四国や九州や北海道、そして本州よりも大きく沖縄を描いた、というエピソードがある。米軍基地はいまだ圧倒的な存在感でそこにある。そして多くの矛盾を抱える沖縄。琉球新報・沖縄タイムス、琉球銀行・沖縄銀行、そして琉球大学・沖縄大学。
琉球・沖縄に関係する文献を一瞥すると、書名に「沖縄」とある場合と、「琉球」とある場合がみられる。
アサヒ写真ブック『琉球その後』 1955
沖縄の歴史研究会編『沖縄の歴史』 1984
高良倉吉・田名真之編『図説琉球王国』 1993
新城俊昭『高等学校 琉球・沖縄史』 1994
中山盛茂編『琉球史事典』 1969
最近では、自民党の議員がシンポジウムで「ひめゆりの党の展示内容について歴史の書き換えがある」と言う内容について、発言を撤回し謝罪した。
このように依然として沖縄問題は歴史的、文化的に複雑である。沖縄には沖縄の顔と琉球の顔があるといわれる。沖縄の文献上の初見は、8世紀に書かれた鑑真の伝記『唐大和上東征伝』である。ここでは「阿児奈波島」と書かれている。753年11月21日に沖縄に上陸している。そして12月20日、薩摩坊津(南さつま市)に到着した。「平家物語」(長門本)には「おきなは」という呼称が初めて見える。ただし、古代の東アジア世界では、一般的に用いられた名称は「琉球」であった。隋の煬帝が607年に朱寛を琉求に遠征させたとある。(「隋書東夷伝」)『隋書』の「琉求」の所在については、新井白石が琉求=沖縄説を唱え、フランスの学者が琉求=台湾説を唱えて、明治30年代から昭和30年代にかけて国際的な論争となったが、有力な学説はでなかった。明末のマテオ・リッチの「坤與万国全図」(1584年)には、大琉球と小琉球が描かれ、大が沖縄、小が台湾をさす。明代を通じて、「琉球」の呼称は東アジアに定着し、江戸幕府も琉球と呼んでいた。ところが明治日本は1872年、琉球王国を廃して琉球藩を設置し、国王尚泰を藩主とした、さらに、1879年に琉球処分により沖縄県とした。つまり琉球と呼ぶ。(5月15日)
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