六瀬頼連軍忠状
尼崎市が保管する南北朝時代の古文書。六瀬頼連軍忠状、「ろくせよりつらぐんちゅうじょう」と読む。軍忠状とは中世の武士が自身の戦功を上申した文書で、所属する軍団の統率者に提出される。北朝方の六瀬頼連は正平17年8月に参陣し、神崎橋の西詰で南朝勢と戦った。この合戦は神崎合戦と呼ばれ、戦闘の経過などがわかる稀少な史料であることから、令和7年に、尼崎市指定文化財に指定された。
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尼崎市が保管する南北朝時代の古文書。六瀬頼連軍忠状、「ろくせよりつらぐんちゅうじょう」と読む。軍忠状とは中世の武士が自身の戦功を上申した文書で、所属する軍団の統率者に提出される。北朝方の六瀬頼連は正平17年8月に参陣し、神崎橋の西詰で南朝勢と戦った。この合戦は神崎合戦と呼ばれ、戦闘の経過などがわかる稀少な史料であることから、令和7年に、尼崎市指定文化財に指定された。
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