ローマ法王か、ローマ教皇か?
4月21日午前7時35分、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇がバチカンで死去した。フランシスコ教皇はアルゼンチンのホルへ・ベルゴリオ枢機卿がで2013年に教皇に選出され、フランシスコ1世と名乗り、全世界12億人のカトリック信者のトップに就いた。正確にはフランシスコ2世が登場するまでは、1世という序数をつけずに「ローマ法王フランシスコ」と呼ばれる。ペテロから数えて266代である。ところで新聞報道では「法王」という用語が使用されるが、高校世界史では「教皇」が一般的である。日本政府では外交で「ローマ法王庁」と登録してあるため「法王」としているが、日本のカトリック教会では「法王」ではなく「教皇」への記載をすすめているとのことである。パパ(papa)という原語(英語ではポープpope)は、子どもが父親を呼ぶときの言葉で、もとは聖職者一般に対する敬称であったが、しだいにローマ司教にかぎりこの敬称が用いられるようになり、グレゴリウス7世は1073年の教会会議で、他の司教がこの敬称を用いることを禁じた。教皇は現在では世界のカトリック教会の頂点に立ち、ペテロの後継者として尊敬を集めている。
ところで高校世界史で知られるローマ教皇は、異教徒の侵攻を阻止したレオ1世、ゲルマン人への布教をしたグレゴリウス1世、聖像禁止令のレオ3世、オットー1世に加冠したヨハネス12世、カノッサの屈辱のグレゴリウス7世、十字軍を提唱したウルバヌス2世、教皇権の絶頂期インノケンティウス3世(「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉で知られる)、アナー二事件のボニファチウス8世、教皇境界線を設定したアレクサンデル6世、聖ピエトロ寺院の再建を始めたユリウス2世、ルターの宗教改革のレオ10世などである。そして第二次世界大戦期の教皇としてラテラノ条約を締結し、ムッソリーニ政権を承認したピウス11世、ナチス政権下のドイツのユダヤ人迫害を容認したピウス12世などがいる。
そして5月8日、バチカンのシスティーナ礼拝堂に白い煙が上がった。教皇選挙コンクラーベで、米国出身のロバート・フランシス・プレポスト枢機卿が第267代教皇に選出された。新教皇はレオ14世を名乗る。
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