志賀直哉のこと
改めて志賀直哉を再読している。小学館の昭和文学全集 第3巻が手元にあるが、この本はほぼ発表が昭和に限られる作品を収録している。志賀の唯一の長編「暗夜行路」は大正10年に発表されたが、以後断続的に執筆され、完結したのが昭和12年の事である。この本には有名な作品「小僧の神様」や「網走まで」は収録していない。
「雨蛙」大正13年1月 中央公論
「真鶴」大正13年3月 新しき村出版部
「濠端の住まい」大正14年1月 不二
「山形」昭和2年1月 中央公論
「創作余談」昭和3年7月 改造
「豊年虫」昭和4年1月 週刊朝日
「万歴赤絵」昭和8年9月 中央公論
「日曜日」昭和9年1月 改造
「泉さん」 昭和14年1月 文藝春秋
「内村鑑三先生の想い出」昭和16年3月 婦人公論
「淋しき生涯」昭和17年1月 中央公論
「灰色の月」昭和21年1月 世界
「兎」昭和21年9月 素直
「蝕まれた友情」昭和22年1月 世界
「奇人脱哉」昭和24年9月 苦楽
「山鳩」昭和25年1月 心
「末っ児」昭和25年1月 群像
「朝の試写会」 昭和26年3月 中央公論
「自転車」昭和26年11月
「朝顔」昭和29年1月 心
「白い線」昭和32年 世界
「ヴィーナスの割れ目」昭和31年2月
「雀の話」昭和1月 産経新聞
「盲亀浮木」昭和38年8月 新潮
「老廃の身体」昭和38年1月 朝日新聞
以下、書きかけ中
ところで、近代文学史で志賀直哉は「小説の神様」と呼ばれるほど高評価されている。これは代表作「小僧の神様」のジョークで始まったのかもしれないが、「城崎にて」など国語の教科書に取り上げられる率も高く、受験生必読なので、ケチをつけるつもりはないが、評価されすぎと感じている。いわゆる世代論なのだが、大正デモクラシーに青春時代を過ごした貴族たちは、第二次世界大戦にはほとんど無関心だった。志賀直哉より10歳、20歳若い世代は応召という過酷な現実に向きあい、戦争について戦後なんらかの資料調査なり、文章を書くものだが、志賀直哉にはほとんど戦争への反省はおろか、調査研究の址がみられない。まったくの無関心なのだ。戦後、左右の思想の対立が激しい中、教育者たちにとって、政治抜きの作家は教科書的には文部省受けもよろしく、高評価されやすい。作家の評価は死後100年後を待とうか。


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