石は語らず
歌人として知られた源俊頼の歌に「石」と題して「石はさもたてける人の心さへ かたかと有てみえもすかな」というのがある。書は人をあらわす、というが、この歌は、石組は人をあらわすといっている。禅宗寺院の枯山水は、その形の上からみて、旧来の林泉庭園を縮小集約した築山枯山水(大仙院書院庭園)と、平庭枯山水(龍安寺方丈庭園)とに大別できる。一石のなかに山岳をみるというのは同じである。これは盆の上に自然石や砂を配置した盆山も同じであろう。「石組は人をあらわす」とは如何なる意味であろうか。枯山水とは石組によって地形をあらわし、水を表わすのに砂礫を用いることがある。「水なき所に水をみる」龍安寺は1450年細川勝元の創建であるが、石庭は当初からあったのではなく、いつ、だれによって作庭されたか不明である。16世紀前半、おそらく室町末期頃作られたということしかわかっていない。(一説に相阿弥という)15個の石を7・5・3に並べた枯山水の石庭は、「虎の子渡しの庭」と呼ばれる。簡素を極めたその造形は、禅の境地ともいえる静けさと安らかさを備え、深い感銘を覚えます。
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