板垣死すとも、自由は死せず
1882年のこの日、板垣退助は、岐阜で演説を行っての帰途に刺客に襲われた。そのときの名文句が「板垣死すとも、自由は死せず」である。はたしてこの言葉が板垣の口から出たものかどうか確証はないが、一説では司法官で歴史学者の尾佐竹猛(おさたけたけし)によったもの、あるいは犯人を取り押さえた内藤魯一(ないとうろいち)がいったもの、日本立憲政党新聞の記者・小室信介の創作説などと諸説ある。このとき板垣は死なず、本当に亡くなるのは事件から37年のちである。
事件は午後6時すぎ、愛知県の士族相原尚褧(なおぶみ)が、演説を終えて会場の玄関から出てきた板垣を襲い、短刀で胸を刺した。板垣の受けた傷は、胸・頬・両手など合計7ヶ所であるが、いずれも致命傷にはいたらなかった。しかし板垣遭難の報は全国に飛び、各地の自由党員は手に手に刀や鉄砲を持って岐阜に駆けつけ、政府弾劾の声をあげた。こうして板垣は、自由主義の英雄となった。現在遭難の地・岐阜公園内に建てられた板垣退助の銅像がある。(4月6日)
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明治維新の板垣退助の活躍は、幕府打倒の後の明治時代・・。
興味ある有名人ではあるが・・。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月 5日 (金) 22時24分