パーニーパットの戦い(1526年)
16世紀前半、ムガル帝国は、軍事財政制度を柱に統治と支配を広めていった。ムガル帝国は、中央アジアから進出したイスラーム国家であり、少数派として多数派のヒンドゥー勢力を支配しなければならなかった。その際に採用しているのは、官位に応じた軍馬を維持することを定めたマンサブダール制と、担当する統治地域からの税収入を給与として与える給与地制とも呼ばれるジャーギール制という2つの制度を組み合わせた軍事財政制度であった。パーニーパットはデリーの北方約90㎞にある。1526年4月21日、バーブル(ティムールの5代の子孫)がロディー朝のイブラヒムを討って、デリーとアグラを占領し、ムガール帝国の基礎を築いた。約100頭の象軍を主力とするローディー朝の10万の大軍を、1万2000の兵で打ち破ることができたのは、鉄砲という火砲を用いたことと騎兵を利用したためといわれている。( keyword;Battle of Panipat,Babur,Ibrahim )
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