寛政の改革
デレビの時代劇でお馴染み、「越後屋、お前も悪よのお~」と悪代官が御用商人と結託して小判(賄賂)をとるというシーンがある。政治家というのは、今も昔もそれほど変わらないようだ。田沼意次が下屋敷の池を見ながら「この池に魚を入れたら面白かろうな」とつぶやいて登城すると、その日の夕刻には多くの鯉や鮒が池の中で踊っていたという。田沼はかつては日本3大悪人の一人に数えられた。戦前の論壇では徳富蘇峰や辻善之助らの道義的に断罪する風潮が主流であった。ところが近年、大石慎三郎の実証的研究により田沼の積極的な経済政策や文化政策が評価されるようになった。(大石慎三郎『田沼意次の時代』1991)だが江戸時代にすでに「白河の清き流れに水絶えて、昔の田沼今は恋しき」という戯れ歌が残るように政治家の優劣を論評することは難しい。
天明8年(1788年)のこの日、松平定信は若年の将軍・家斉の補佐役となり、寛政の改革を実施してゆく。この改革は、当時、天明の飢饉により、とくに奥羽はその被害が著しかったが、倹約をすすめ窮民の救済に実をあげた。寛政の改革は田沼時代の政治を正すことにあり、財政面での緊急政策と重農政策と商業資本の抑圧政策が特色である。だが大奥の経費を3分の1に切り詰めたところ、反発を受けて定信の失脚の原因となった。(3月4日)
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