近藤重蔵、蝦夷地を探検
蝦夷地御用掛、近藤重蔵は寛政11年(1799年)のこの日、蝦夷地を探検した。重蔵に課せられた任務はクナシリとエトロフの間の水路を開拓することだった。この2つの島の間には濃霧がたちこめ、潮流の速い国後水道がある。このあたりの海になれている蝦夷人も恐れて近寄らない難所だった。この水路開拓を重蔵は、高田屋嘉兵衛の協力を得て、みごとになしとげたのであった。蝦夷地に渡ること4度、その間、択捉島でロシア側が建てた標柱にかえて大日本恵土呂府の標柱を建てた。「辺要分界図考」はその見聞と内外の文献を取り入れて詳述した重蔵の代表的な著作である。(3月17日)
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