引き揚げ港舞鶴
「♪母は来ました今日も来た。この岸壁に…」というフレーズでお馴染みの「岸壁の母」。これは戦後、ソ連による抑留から解放され、引き揚げ船で引き揚げ港の桟橋へ帰ってくる息子を待ちわびる母のことを歌ったもの。母親は息子の戦死の知らせを受け取っていたのだが、それが信じられず、今週こそ帰えってくるのではないか、と舞鶴へ通い続けたという、悲しく切ない情景を歌った歌なのである。
昭和28年のこの日早朝、中国からの帰還第一船「興安丸」が2009人を乗せて雨の舞鶴港に着いた。ほとんどの引き揚げ者の帰国第一声は「家と仕事と一部の冷たい目が心配です」と、喜びより不安をうったえるものが多かった。岸壁では、日本語の話せない孫にとまどう祖父母は、夫が再婚していたことを知らず出迎えた妻など、長い空白がもたらした悲喜こもごも人間ドラマが展開された。この日は続いて、第二船の「高砂丸」が1945人を乗せて入港した。戦後、海外に取り残された日本人はおよそ600万人を超えるといわれた。舞鶴の入港は、昭和33年9月7日まで、実に13年に及んだ。(3月23日)
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