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2025年2月28日 (金)

パルメ暗殺事件の真相

    1986年2月28日、ストックホルムでスウェーデンのオロフ・パルメ首相(1927-1986)が狙撃され、絶命した。犯人は黒いオーバーの男という証言のみで迷宮入りかと思われた。しかし数年後、麻薬の売人だったクリステル・ペターションが逮捕されたが、裁判にかけられる直前、刑務所内で謎の死をとげた。本当にペターションは実行犯だったのか。パルメは反核・平和運動の世界的指導者だけにヨーロッパ中で反対勢力があり、背後には国際的陰謀がある。旧ソ連のKGBが絡むのか。あるいはクロアチアの独立を阻むユーゴスラビアの秘密警察の犯行との見方もある。パルメ暗殺事件は杳として謎に包まれている。 

 

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クリステル・ペターション

2025年2月26日 (水)

脱出の日

Elba  ナポレオンがエルバ島を脱出し、パリに向かった日。これに因んで、嫌な事、辛い事などから脱出を目指して頑張る日。1814年3月31日、フランスはライプツィヒの戦いに敗れてパリが陥落した。ナポレオンはフランス皇帝からの退位宣言に署名させられて、5月3日エルバ島の小領主として追放される。エルバ島はイタリア半島中西部に位置する面積224k㎡の小島。「すみれの花咲くころにはパリに戻ってくる」と言い残していた。戦後処理会議としてウィーンで国際会議が開かれた。会議にはヨーロッパ中の2帝国・90王国・53公国から代表が集まった。接待役オーストリアのリーニュ将軍の「会議は踊る、されど進まず」の言葉どうりに紛糾が続いた。1815年2月26日、ナポレオンは100人の兵士とともにエルバ島を脱出した。3月1日、カンヌ付近に上陸したのち、敵との遭遇を避けるため、険しいアルプスを越えてパリまで進軍した。3月になるころには、ウィーン会議は決裂寸前の状態まできていた。そして3月7日、ナポレオンがエルバ島を脱出したという情報が届いた。列国は数週間のうちに和解を進め、力を合わせてナポレオンと戦うことを約束した。一方、ナポレオン軍は、ナポレオンを攻撃するために差し向けられた兵隊たちも加わって、しだいに膨らんでいった。そして3月20日、ナポレオンはパリに到着し、熱狂的な歓迎を受けた。 ナポレオンの「百日天下」が始まる。

 

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2025年2月25日 (火)

斎藤茂吉没す(1953年)

   斎藤茂吉(1882-1953)は昭和20年2月、故郷の山形県南村山郡堀田村金瓶(現・上山市)に赴き、弟高橋四郎兵衛と疎開の打合わせをした。4月11日、単身にて上山町山城屋に疎開し、14日より郷里金瓶の斎藤十右衛門方に落着いた。昭和21年1月30日、金瓶を去って大石田町に移る。3月13日、肋膜炎に罹り、5月上旬まで臥床療養。

   北杜夫は「死」(岩波書店「世界」昭和39年4月)という作品でつぎのように書いている。

   戦後、父は疎開先の大石田で肋膜炎を患った。それから急速に肉体的に衰えた。昭和24年頃から歩行がかなり不自由になった。軽い左半身の麻痺も起こした。更に26年の2月、はじめて心臓の発作がやってきた。27年の4月にも、つづけて二度大きな発作があった。呼吸が切迫し、口唇、手足にもチアノーゼが現れたそうである。だが父は生きのびた。そのような肉体の衰えは、年齢からいっても既往症からいっても必然的なものであったかも知れない。だが、それに伴って精神の衰退がやってきた。もっと端的にいえば、父は頭脳をやられたのである。おそらくは脳動脈の硬化からくる老年性痴呆への進行が徐々に訪れてきていた。それは治療法とてない老年の残酷な生理の現れであった。

   昭和28年2月25日午前11時20分、新宿区大京町の自宅で心臓病のために没した。享年満70歳であった。遺体は28日、幡ヶ谷火葬場で火葬され、遺骨は2個の骨壷に分骨された。告別式は3月2日午後1時、築地本願寺で行なわれた。葬儀参列者220名、一般会葬者645名、遺骨は青山墓地と山形県の金瓶の宝泉寺に納められた。戒名、赤光院仁誉遊阿暁寂清居士

2025年2月24日 (月)

安らぎと癒しを与えるジャズとボサノバ

 音楽は騒音にもなるし、癒しにもなる。その日の体調にも大きく関係している。ところでみなさんは、最近、音楽を聴いていますか?真偽のほどはわかりませんが、世界のどこかで四六時中流れている曲は、タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」といわれています。たしかに「ベッサメ・ムーチョ」や「マドンナの宝石」など南米ラテン音楽はダンスによし、ムードミュージックによし、何度聞いても飽きないのかもしれません。ムード音楽の流行はダンスをするのに必要だったから。いつしか蓄音機をみなが所有するようになると、ダンスをしないで自宅で夜に静かに聞いて眠れような音楽が求められた。安らぎと癒しを与えてくれるムード音楽について考えてみましょう。

  さてムード音楽のはじまりはいつ頃からか?実はムード音楽とかムードミュージックという英語はない。一般にrelaxing musicに近い。日本でムード音楽といえば、高級ナイトクラブで生演奏でダンス用に使われる音楽のことであろう。ハワイアン音楽の和田弘とマヒナスターズが歌謡曲でヒット曲を出して、昭和40年代男性コーラスグループが全盛となった。海外の演奏のみの音楽をムード音楽と考えるなら、1940年代のジャズを中心とするオーケストラ・ビッグバンドの隆盛があけがられるが、今日のBGMに使われる都会的に洗練されたムード音楽が登場するのは1950年代になってからのことである。機械的にはLPレコードの普及が挙げられる。次に「枯葉」「セシボン」「ラメール」「ばら色の人生」などのシャンソンがアメリカで大流行したことがあげられる。第三にムード音楽の発明者はジャッキー・グリーソンだといわれる。彼はコメディアンだが、1952年TV番組「ジャッキー・グリーソン・ショー」で自らバンドを作り数多くのLPを発売してムード音楽というジャンルを確立させた。第四にムード音楽はクラックに比べ軽音楽といわれ、エレベーター・ミュージックともいわれる。全世界のデパートやスーパー・マーケットなどで一日中BGMとして流されることから、揶揄してつけられた言葉である。

ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(1957)の主題曲「アフリカの星のボレロ」が聞きたくなった。オリジナルはエルヴィン・レーン楽団だが、フイルム・シンフォニック・オーケストラという演奏のレコードから誰かが投稿している。聞くと懐かしく不思議な感じ。戦争映画なのにとても美しくてやさしいメロディー。サントラ盤のエルヴィン・レーン楽団もアップされている。

「春の如くに」ミュージカル映画「ステート・フェア」(1945)で歌われた一曲。It Might As Well Be Spring

こんどは「ラントコンサート」で甘くひたる。なんと映画の予告編。モン・サン・ミッシェルの景色や日本語のナレーションまでついている。
   アントニオ・カルロス・ジョビンの「オルフェの歌」(映画「黒いオルフェ」主題歌)。ワンパターンでも「白い恋人たち」「ガラスの部屋」「ブーべの恋人」「さらば夏の日」は何回聴いても心地よい。ジャネット・アグランを何十年ぶりかで見る。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」なんと音がでない。著作権保護のためカットされたている。しかし誰かがまたアップしている。イタチごっこは当分続く。いずれは多くの作品も聞けなくなるかもしれない。いまのうちいっぱい見ておこう。
   「ムーン・リバー」(映画「ティファニーで朝食を」)を聴く。「酒とバラの日々」などスタンダードな曲は、ヘンリー・マンシーニはもちろん、アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドンなど聞き比べできる。サム・テイラーのサックスも懐かしい。B・J・トーマスの「雨にぬれても」(映画「明日に向かって撃て」)
  シャンソンの名曲「枯葉」も映画「夜の門」(1946年)の主題歌だった。ドリス・デイ「君を想いて」は映画「情熱の狂想曲」(1950年)の挿入歌だが、元は1934年アル・ボウリーが歌ってヒットした。

 

ムードサックスの王者として知られるサム・テイラーもムード音楽からジャズ・スタンダード、R&B、映画音楽と幅広い。「ハーレム・ノクターン」「ダニー・ボーイ」「ミスティ」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「ムーングロウ」「ジャニー・ギター」。ほかにボビー・ハケット。

 

  世界にあって日本にはないもの。それはジャズのビッグバンドだ。グレン・ミラーやポール・ホワイトマン、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、アーティー・ショー、オリバー・ネルソン、ウディー・ハーマン、バディ・リッチ。トミー・ドーシーの「センチになって」が一番すきたが、もともとはジミー・ドーシーと兄弟バンドで1934年の曲。戦後もいろいろなバンドが演奏しているが、ベルト・ケンプフェルト楽団で聴いた。70年代はポール・モーリアが一番ポピュラーだった。ヘンリー・マンシーニのような映画音楽の作曲家ではなく、すでに原曲があるものに自分のアレンジをほどこしてムード音楽にするのがポール・モーリアの真骨頂である。

 

「ラ・クンパルシータ」 アルフレッド・ハウゼ楽団

 

「マドンナの宝石」 マランド楽団

 

「引き潮」 フランク・チャックスフィールド楽団

 

「ミスティ」 ジョージ・メラクリーノ楽団

 

「黒い瞳のナタリー」 フィリオ・イグレシアス

 

「ムーン・リヴァー」 ヒズ・ボ―ウェン Hill Bowen and his Orchstra

 

「可愛い花」 ピーナッツ・ハッコー Peanats Hucko

 

「一人ぼっちの浜辺(夜霧のしのび逢い)」 ロス・マヤス楽団

 

「ブルーレディに紅いバラ」 ビクター・シルベスター楽団

 

「友情ある説得」 ジョー・ロス楽団

 

「さらばベルリンの灯」 ジョン・バリーオーケストラ

 

「悲しみは星影と共に」 ブルーノ・ニコライオーケストラ

 

「慕情」 soundtrack suite アルフレッド・ニューマン

 

「Never Till Now」(愛情の花咲く樹)  ゴードン・マクレイ

 

「春のごとく」(ステート・フェア) ブランノン・ストリングス・オーケストラ

 

「モーニング・アフター」(ポセイドン・アドベンチャー) モーリン・マクガバン

 

「チコと鮫」 フランチェスコ・デ・マージ

 

「忘れじの面影(She)」(ノッチング・ヒルの恋人) エルヴィス・コステロ

 

「スピーク・ロウ」(ヴィーナスの接吻) テッド・ヒース・オーケストラ

 

「真夜中のブルース」(朝な夕なに) ベルト・ケンプフェルト

 

「炎のランナー」 ヴァンゲルス

 

「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン

 

「レット・イット・ゴー」(アナと雪の女王) イディナ・メンゼル

 

「ハイリリー・ハイ・ロー」(リリー) ダイナ・ショア

 

「暗いはしけ」(過去を持つ愛情) アマリア・ロドリゲス

 

「ウォルシング・マチルダ」(渚にて) ジミー・ロジャース

 

シャレード フランク・チャックフィールド

 

情事のテーマ モーリス・ルクレール楽団

誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ

 

刑事 死ぬまで愛して アリダ・ケッり

 

禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団

 

太陽の誘惑 ニコ・フィデシコ

 

女と男のいる舗道 ロベール・モノ―楽団

 

「ステラに捧げるコンチェルト」「st.Michel」ステルヴィオ・チプリアーニ(ラスト・コンサート)

 

サークル・ゲーム(いちご白書)

 

地下室のメロディ ミッシェル・マーニュ

 

太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

リーザの恋人 モーリス・ルクレール楽団

 

アルディラ(恋愛専科) エミリオ・ペリコーリ

 

軽蔑 ピエロ・ピッチオーニ

 

夢のカルカッタ ローレンス・ウェルク楽団

 

唄う風 ラルフ・フラナガン楽団

 

ブルー・ベルベット レイ・アンソニー楽団

 

引き潮 ジョニー・ダグラス楽団

 

サンセット77  ウォーレン・バーカー

 

エデンの少女 レーモン・ルフェーブル

 

ロワールの星 カラべリときらめくストリングス

 

アローン・アゲイン ピーター・ネロ

 

街角のカフェ  フランク・ミルズ

 

今宵のあなた モートン・グールド

 

セプテンバー・ソング ジャンゴ・ラインハルト

 

酒とバラの日々 ヘンリー・マンシーニ 1962

 

ラブ・タイム・ゴウ・バイ(カサブランカ)  ビージー・アデール

 

荒野の三軍曹 アル・カイオラ楽団

 

怒りの荒野 ウーゴ・モンテネグロ楽団

 

   ムード音楽のオーケストラは、パーシー・フェイス、ポール・モーリア、フランク・プールセル、ビリー・ボーン、マントヴァーニー、ジョージ・メラックリーノ、モートン・グールド、ポール・ウエストン、ローレンス・ウェルク、ジャッキー・グリーソン、フランク・チャックスフィールド、レイ・コニフ、ジェームズ・ラスト、101ストリングス・オーケストラ、アンドレ・コステラネッッ、ネルソン・リドル、ユーゴ・ウィンターハルタ―楽団、ファン・ダリエンソ楽団、ラモン・マルケス楽団、スタンリー・ブラック楽団、ファウスト・パペッティ楽団、ウーゴ・ブランコ楽団、ジョージ・メラクリーノ楽団と世界にはいろいろあるが、最近は図書館からレイモン・ルフェーブルの二枚組CDを借りて聴いている。「シバの女王」「さよなら、マリンブルーの夜」「エマニュエル夫人」「オペラ座の怪人」「メモリー」「オン・マイ・オウン(「レ・ミゼラブル」より)」など。Elivin Rane Orchester、Bert Kaempfert、Morton Gould、Geoff Love his Orchestra(ジェフ・ラブ&ヒズ・オーケストラ)

 

 

 

 

2025年2月22日 (土)

アーネスト・クールターとBBS運動

Ernestcoulter   BBS運動とは BIG Brothers and Sisters Movementの略称で、1904年アメリカで起こり、わが国では1947年から始まる非行少年のよき兄や姉となってその更生に協力しようとする運動である。(このように広辞苑2版にはあるが4版からは項目が削除されている)

    当時ニューヨークの少年裁判所の若い職員アーネスト・ケント・クールター(1871-1952)が呼びかけたのが始まりである。

   わが国では京都少年審判所所長の宇田川潤四郎(1907年生まれ)と職員の徳武義(1902年生まれ)が結成を呼びかけ、1947年2月22日に「京都少年保護学生連盟」として正式に発足した。「BBS運動こそ日本の青少年問題解決の一つの鍵である」として、BBS運動は全国に広がっていった。60年代になると大きく拡大し、1966年には会員数が1万人を超えた。しかしその後は減少傾向にあり、現在は約4700人くらいである。(参考:徳武義「アメリカの少年監護所の研究」1939) keyword;Arnest Coulter

おでんの日

 本日は「おでんの日」。波乱万丈、貧乏暇なし、平々凡々と、人にはさまざまな人生があるものの、所詮はみんな同じ一生である。  江戸川柳に、「どぶろくとおでんは夜の共稼ぎ」がある。屋台の寒い冬には屋台のおでんが美味しい。ホトトギスの高浜虚子(1874-1959)には、何故かおでんの句が多い。虚子は若いころから酒好きであったが、大正8年に軽い脳溢血で倒れた。そのため大好きな酒はたしなむ程度にしたが、おでん屋でおでんを食べながら少量の酒を楽しんでいたようだ。虚子におでんの句が多いのは、平凡を愛する心が人生観となっているからであろうか。虚子は明治7年2月22日、愛媛県温泉郡町新町で生まれた。

 

  振り向かず返事もせずにおでん食ふ

 

  おでんやを立ち出でしより低唱す

 

  戸の隙におでんの湯気の曲り消え

 

  硝子戸におでんの湯気の消えていく

 

  志 俳諧にあり おでん食ふ

 

  おでんやの娘愚かに美しき

 

 

2025年2月20日 (木)

早期発見早期治療

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   新しい医学の進歩は、治療だけにとどまらず、これまで治る見込みがない難病でさえ、全快するようになる場合がある。医学はどんどん進歩している。つらい病気でも明るく希望をもって生きることが人間にとって大切だと思っている。経済アナリストの森永卓郎さんは、最期まで病気と闘い、明るく全うした。最近、難病を公表してポジティブに生きようとする有名人が増えた。それには医療への信頼があるからだろう。毎年の定期検診師を受診して、早期発見早期治療が大切である。ここに医師という崇高な職業がある。ヒポクラテスはギリシアの神々の名にかけて、医学に生涯をささげ、自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない、また不正を犯すことなく、医術を行う、なとどとした誓いを宣誓した。これは「ヒポクラテスの誓い」としてアメリカではすべての医学校の卒業式に誓われている。ドラマ「逃亡者」のリチャード・キンブルもいかなる状況にあっても、この誓いを忘れることはなかった。真犯人の片腕の男フレッド・ジョンソンやジェラード警部でさえ治療している。わが身の危険を知りながら、病人や怪我人を見捨てることはなかった。キンブルの行為は医療倫理に基づくものであるが、人としてのあるべき姿をわれわれに教えてくれるように思う。汝の敵を愛せよ。命の尊さこそ倫理の基本である。

2025年2月19日 (水)

それからの那須与一

Photo_3    1185年のこの日、一ノ谷の戦いで敗れて屋島に逃れた平家を源義経が奇襲した屋島の合戦があった。この戦で船上の扇の的を射落とす功名を得た若武者、那須与一だがその後どうなった。死亡時期は文治五年、建久元年など諸説あるが、わずか22歳で京で病死してしまったといわれる。ただし、関西地方には、那須与一には7人の子があり、近江にそれぞれが寺を建立し、弘誓寺(滋賀県東近江市)も7ヵ寺のひとつとされる。与一は病にかかり顔がかわってしまっため出家し、貞永元年に中風のため摂津国で没した。享年64歳。弘前大学教授夫人殺人事件で無罪となった那須隆は那須家36代当主。(2月19日)

 

 

2025年2月18日 (火)

雨水

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    今日は二十四節気の一つで、立春の後15日を「雨水」(うすい)という。雨水とは、今まで雪が降ったり、凍ったりしていた季節がゆるんで、水分が雨となって降るようになるという意味である。太陽の黄経が330度を指す。この頃から日いち日と早春の気がたち始めるとされている。

 

 

古典は美しきものなり

Photo_4 「円盤投げ」 後2世紀

 

  1564年のこの日、ミケランジェロは88歳で歿した。ラファエロやミケランジェロたちルネサンスの人びとはギリシャ・ローマの古典を最高の理想とした。しかし近代の科学技術の進歩は人びとに未来への自信を与えた。過去より現在、未来が進歩しているという確信があるのだろう。だが芸術や文学のうえで、現在の作品が過去の作品よりも芸術的に優れていると本当にいえるだろうか。「大英博物館古代ギリシャ展 究極の身体、完全なる美」はそのような思いを私たちに抱かせる展観である。アテネの市民はどんなことにも、彼ら独特の楽しみ方で生きる歓びを満喫していたであろう。現在の日本のように自殺者は多くなかったであろう。毎日の生活は簡素で、朝日とともに起き、仕事についた。哲学者は学生たちと語り合いながら散歩をする。市民は仕事だけでなく、余暇を愛することを公言してはばからなかった。彼らは昼夜をわかたず談笑し、日が落ちると意気を高める酒宴をもよおした。

   そんなミケランジェロの作品が日本で見えるという。四国のある美術館で陶板で精巧に作成した名画である。ヴァチカン宮殿システィナ礼拝堂の天井画で、現地へ行っても近くで観れないが、そこの美術館では「旧約聖書」の創世記の天地創造など9場面から構成され、数百人の人物が描かれている。現地の学芸員がクエスチョン「この中にミケランジェロ本人が描かれています。どれでしょうか?」まるでウォーリーを捜せのように皆は必至で探す。美術館へ行った人はみな「教科書にある名画があって、とても感動した」と口をそろえる。だが私のような老人には所詮はニセモノ、感動とは程遠いと感じる。銭湯の風呂屋の富士山に感動しているようなものである。無名の画家であれ、ニューヨーカーはみな現物を見て感じるものを美術、芸術と呼ぶ。日本人は知恵や先入観から入り、美術品をガイドブックや教科書で判断する。日本人に明るい未来はない。(2月18日)

有名人の意外な趣味

 本日は趣味の日。人生食べて寝ていればほかに何にもしなくてもいいのだが、何もしないのもつまらない。趣味とは、専門家としてではなく、楽しみとしてする事柄である。各界で活躍中の有名人の趣味を調べる。長嶋茂雄は若い時から将棋が唯一の趣味だった。新垣結衣の爬虫類の飼育など意外すぎる趣味もある。有名なのは、土井たか子のパチンコとカラオケ。石坂浩二のプラモデル、タケカワユキヒデの漫画収集、布川敏和のアロハシャツ収集、松井秀喜の腕時計収集、野村義男ギター収集、俵幸太郎のクラシックCD。駒田信二の絵馬収集。中尾彬の自家製マフラー「ねじねじ」。新井素子のぬいぐるみ収集。デーモン小暮や愛子さまは相撲マニア、イチロー・与謝野馨の囲碁、小沢一郎の小鳥飼育、養老孟司・哀川翔・香川照之の昆虫採集、小泉純一郎のオペラ鑑賞、石破茂の模型、川島なお美のワイン、森村誠一、福山雅治や玉木宏、唐田えりかの写真、田中健のケーナ演奏、桂南光のオカリナ、松下奈緒のピアノ、大杉漣のギター、松方弘樹、梅宮辰夫、エド山口、田山涼成、伊勢正三や杉浦太陽・山田純大・奥田民生・城島健司、武井咲の釣り、市毛良枝・高橋一生の登山、鈴木亮平の世界遺産と旅行、吉永小百合の旅行と水泳、針すなお、由美かおるの合気道、山川豊のボクシング、加山雄三や八代亜紀の油絵、里見浩太郎の水墨画、井上真央の書道、中尾彬、石坂浩二、加山雄三、八代亜紀、忌野清志郎、工藤静香、清原果耶の絵画、本仮屋ユイカの陶芸、秋川雅史の彫刻、あおい輝彦のバードウォッチング、宇津井健・華原朋美・岩崎宏美の乗馬、南沢奈央の落語、氷川きよしの家庭菜園、いとうせいこう園芸、三遊亭小遊三・渡辺美奈代の卓球、苅谷俊介の考古学、岡本玲の算盤、森永卓郎のグリコのおまけ・トミカ(ミニカー)の収集、横山やすし・蛭子能収の競艇、森昌子の韓国ドラマ、松本潤・安達祐実の盆栽、多部未華子の読書、菅野美穂、内山理名のヨガ、柳家小さん・橋本龍太郎の剣道、夏目雅子、冨士眞奈美、小倉一郎の俳句など。なぎら健壱・火野正平・筒井道隆・鶴見辰吾の自転車。華原朋美の馬術、所ジョージ、清水国明のバイク、山本昌のラジコン。浅利陽介のバスケットボール。ゴルフを趣味とする人は多い。大橋巨泉、小林旭、原辰徳、神田正輝、石田純一、野口五郎、大月みやこ、所ジョージなど。スポーツ観戦ではサッカーの小柳ルミ子、日向坂46の影山優佳。相撲の大村崑、紺野美沙子。永野芽郁のバイク。山中伸弥のマラソン。

  散歩は趣味の中でも王道である。健康と若さを保つのにふさわしい趣味である。ただし、俳優の細川俊夫は3年連続大会競歩大会で優勝し、趣味というよりはトップ・アスリートだった。ボクシング世界チャンピオン輪島功一は毎朝犬を連れて井の頭公園を散歩する。ついでにゴミ拾いをするというから立派である。坂東三津五郎は城めぐり。有馬朗人(物理学)や角川春樹の俳句は趣味の域をこえている。俳人である。片岡鶴太郎や米倉斉加年(俳優)の作品は芸術品で腕はプロ級。つまり趣味(アマチュア)とプロのボーダーラインの判定は難しい。

 

    意外な人の趣味としては、高木ブーのクレー射撃、香川照之・中島美嘉の昆虫の標本コレクション。小島陽菜の競馬など。深津絵里のように趣味はなし、SNSもやらない、という人もいる。趣味なしのほうが、かえってミステリアスな魅力が感じられる。

    趣味にも実にいろいろあって、ソバ打ち、航空無線の傍受、エコ、防災と多種多様。そこで大きく6つに分けて、趣味の種類をみてみよう。

1.収集(コレクション)する 

切手の収集のように、何かを集めること。フィギュア、カード、めんこ、古本、絵葉書、トレカ、ポスター、ブリキのおもちゃ、民芸品、やきもの、宝石、香水、鉄道関係のグッズ、書画骨董、古美術。

2.学習する、読む、書く、聞く、見る

英会話など技術を習得するもの。漢字検定、簿記、風水、占星術、和裁、ペン習字、書道、絵画、マンガを描く、手話、点字、朗読、絵画鑑賞、映画・オペラ・バレエ鑑賞、仏像鑑賞、天体観測、落語、レコード鑑賞、日記、ブログ、作文、メール、小説、新聞への投稿、株など投資。

3.楽しむこと

盆栽、金魚、ペット・小鳥の飼育、パズル、囲碁、将棋、トランプ、ゲーセン、花札、いけばな、俳句、短歌、百人一首、パチンコ、麻雀、競馬、競輪、茶道、ピアノ・ギターなど楽器演奏、カラオケ、近所にある地蔵の掃除をする、鳩に餌をやる

4.つくること、たべること、飲むこと

農業、漁業、畜産業、林業、料理、酒、園芸、陶芸、手芸、編み物、キルト、ビーズ、押し絵、折り紙

5.自分の体を動かすこと

散歩、旅行、探検、温泉、写真撮影、健康体操、陸上、水泳、球技、スキー、登山、ハイキング、森林浴、ボーリング、ゴルフ、テニス、卓球、オートバイ、サイクリング、相撲、ボクシング、柔道、ヨガ、空手、剣道、弓道、合気道、気功、ダンス、スケボ&スノボ、サーフィン、祭りの山車をかつぐ、考古学発掘

6.ファン、追っかけ、マニア

野球・サッカーなど自分は競技しないが鑑賞する。韓流ファン。アイドルのファンクラブに入る。各派の宗教の信者や政治団体に加盟することもこれに類する行為。

 

 

マルティン・ルター没す

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  1546年のこの日、宗教改革の先駆者マルティン・ルターは没した。1517年10月31日、ルターはカトリック教会に対する「95ヵ条の論題」をヴィッテンベルク教会の門扉に張り出した。そして1521年1月3日、教皇レオ10世はルターを破門した。4月17日、神聖ローマ皇帝カール5世によってヴォルムス国会に召喚されたルターは、良心に従って、自分の著作を一言たりとも撤回することを拒否した。「私は取り消さない。神よ、我を救けたまえ、アーメン」と答えた。8月28日にはカール5世はルターの著書の購買・頒布すべてを禁止した(ヴォルムス勅令)。国外追放されたルターはヴァルトブルク城で聖書をドイツ語に翻訳した。こうしてルターによって火をつけた宗教戦争の野火は、全ヨーロッパに広がっていく。1523年職匠詩人ハンス。ザックスはルターの思想に深く傾倒し、「ヴィッテンベルクの小夜啼鳥」の詩を発表した。(2月18日)

2025年2月17日 (月)

エウダイモニア(良く生きること)

  現実主義のアリストテレスによれば、人間は常に何らかの「善」を求めているという。われわれが求める「善」には大別すると3種ある。そのひとつが「有用さ」である。すなわち、これは他のものを求める手段として役立つよさである。それに対して、それ自体が目的となるような「善きもの」として「快楽」がある。しかし快楽は最も低俗な善である。最後に、もつとも価値が高いものとして「最高善」がある。これこそが「eudaimonia」であり、人間を人間たらしめているもの、至上の価値である。それは、人間にのみそなわった理性の活動の完成によって実現する。

以上のようなことが、アリストテレス「二コマコス倫理学」に記されている。アリストテレスによれば、幸福とは快楽や名誉や富などを得ることではなく、人間にとって最高の目的は人間らしく生きること、すなわち、他の生物にはない人間独自の機能である理性を存分に働かせて、それに従って魂が活動することであると説く。この思想は当時の哲学者に共通な考え方であったことは、いうまでもない。だから哲学者は、単に事物を説明・解明するだけではなく、純粋な思惟を求める者で最高善に一番近い者であるというのである。

 

 

ハイネ忌

   ある古本屋でぱらっとめくって、眼に留まった詩があったので買っておいた。ハインリヒ・ハイネの詩集である。

「秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような僕の恋人」

    芹洋子の「四季の歌」で知られるようにハイネは日本では「愛の詩人」として最も親しまれている。またハイネの詩「ローレライ」はフリードリヒ・フィリップ・ジルヒャー(1789-1860)の曲、近藤朔風の訳詩で今でも多くの人に愛唱されている。ところが、本国ドイツではハイネの評価はさまざまである。ハイネの活動はドイツとフランスの二つの国で行われた。つまり「ドイツ人の間ではユダヤ人、フランス人の間ではドイツ人、ドイツでは排斥された者、フランスでは外国人だった」

    28歳のハイネはゲッチンゲン大学で博士号を取得し、名をハリー・ハイネからハインリヒ・ハイネと改め、キリスト教に改宗した。しかし彼は、すぐこのことを後悔した。「今や私は、キリスト教徒にも、ユダヤ教徒からも憎まれている」と友人宛ての手紙で嘆いている。

    1840年7月に発表した「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」(「ルートヴィヒ・ベルネ覚え書」)という内容は周囲から反感をかうこととなった。1843年12月から1845年2月まで、パリでマルクス夫妻と知り合い、親しく交際する。ハイネ46歳、マルクス25歳。そしてハイネは科学的社会主義を準備する雑誌「フォアヴェルツ(前進)」誌に、社会詩、革命詩を発表する。こうして無神論者ハイネは革命詩人でもあった。しかし、晩年、脊椎の病が悪化する。1849年、52歳のハイネは不安と絶望のうちに日々を過ごし、無神論を捨てて再びキリスト教に改宗する。1856年2月17日、詩人ハイネは多彩な生涯を閉じた。享年58歳。パリのモンマルトルの墓地に埋葬されている。

2025年2月16日 (日)

お気に入りの一冊

 三省堂から発行している本に「文豪のことば探し辞典」がある。漱石・鴎外・露伴・一葉・鏡花など近代の文豪たちが使ったことば、約1400語をテーマ別に収録している。まず巻頭の語は「靉靆」である。意味は、雲のたなびくさま。また、雲の厚いさまを意味する。坪内逍遥の「紫の雲靉靆と棚引き」(「細君」)と実例が掲げられている。靉靆の初出はもちろん漢語である。寒山の詩に「巖中人到らず 白雲 常に靉靆たり」がある。昔の人は、寒山の詩を暗記するほど熟知していたのであろう。

 

2025年2月15日 (土)

けつのあなが小さい

 「ケツの穴が小さい」と「出すものも小さい」ので、お金を出し惜しむ吝嗇な者を洒落で言ったのが転じて、度量が狭い、小心である、またはケチの意味。江戸の洒落言葉だが、最近はあまり使われない。作家の実例としては、長谷川如是閑の「搦手から」(1915年)に「お尻の穴の小さなことをお云ひでないよ」とある。「ケツの穴が大きい」は、度量がある、大胆である、の意味。

読みにくい名前は今後も増加する

  「亜人夢(あとむ)」、「瑠美衣(るびい)」、「希空(のあ)」、「澄海(すかい)」、「柊希(しゅうき)」、「心陽(こはる)」、「心愛(ここあ)」「彩夢(ゆめ)」・・・アニメキャラクターのような名前の子供が増えている。ある親が小学生の名簿を見てびっくりした。女子の名、「〇子」は100人のなかで、わが娘たった一人だった。少子化のため親は我が子に個性的な名前をつけるようになった。比較的平凡な感じがする「子」のつく女子名は避けるようになった。古風というか、真面目という感じが将来どのように捉えられるか親が不安であり、「子」を避けるようになったのであろうか。2016年の新生児で「〇子」はわずか3%にすぎない。

 森鴎外は、ドイツに留学経験があるため、五人の子に洋風の名をつけた。長男は於莵(=オットー)、長女は茉莉(=マリー)、次男は不律(=フリッツ)、次女は杏奴(=アンヌ)、三男は類(=ルイ)。海外でも通用する名前を考えのだという。

   女子の名に「子」とつけるのが流行するのは明治33年頃に急増する。津田梅子(1864-1929)は、初名は「うめ」であるが、明治35年に漢字表記を「梅子」に改めている。与謝野晶子(1874-1942)も本名は「志ょう(しょう)」であるが「晶」(しょう)、そして「晶子(あきこ)」という筆名を使用している。「〇子」という命名は女性が輝くシンボルとなった。

   武者小路実篤の明治41年の処女小説「芳子」に次のような下りがある。「兄は「なんという名をつけよう」「しる子がいい」「団子がいい」「きな子がいい」などふざけてはいたがいい名が考え出せない。」 この当時、すでに女子に「○子」は一般的になっていたらしい。だが子が付く女子は昭和39年、高度成長期の頃から次第に減少していった。背景にはテレビの普及とアイドルタレントによる影響があるらしい。とくに昭和32年に「明美」という名前が登場したのをきっかけに、「直美」など「子」が付かない名前が増えてくる。キラキラネームが増えたのは1990年代半ばごろから。ちょうどインターネットが普及し始め、難しい漢字も検索で手軽に調べられるようになってきた頃である。最新の「キラキラネーム」ベスト5。皇帝 しいざあ、一心 ぴゅあ、大海 おーしゃん、姫星 きてい、愛羅 てぃあら。法務省も改正戸籍法の施行をうけて、読み方の指針を発表している。漢字の意味と正反対の読みなどの場合を除いて広く受け入れることになる。しかし塾講師の林修は経験上から読める名前の生徒のほうがキラキラネームの子よりも成績が良いという。つまり本人には全く責任はないとしたうえで、キラキラネームと学力にはある程度の相関性があるという見解を示している。

(参考:佐藤稔「読みにくい名前はなぜ増えたか」、橋本淳治・井藤伸比古「子のつく名前の誕生」)

 

 

 

 

浜田省吾と濱田金吾

  テレビで有名人の顔を見たら、名前を口に出すと、脳により多くの刺激を与え、記憶力が高まるそうである。

  大石吾郎と大橋吾郎の区別できますか?どっちも男前だけど、大石は「コッキーポップ」のDJ、大橋は「おしん」の孫役の俳優。浜田省吾と濱田金吾、水野真紀と水野美紀、坂井真紀と酒井美紀の区別できますか?AKB柏木由紀の名前を見ると、坂本九の奥さん柏木由紀子を思い出す。ごっちゃに混同して、なかなか覚えられない。紛らわしい名前はよくあるものです。ガッキー新垣結衣は「あらがきゆい」だが、元モーニング娘の新垣里沙は「にいがきりさ」である。SPEEDの新垣仁絵は「あらがきひとえ」である。

   千葉ロッテマリーンズに鈴木大地という選手がいる。親が水泳の鈴木大地にあやかり命名したというが同姓同名が紛らわしいのは言うまでもない。足利義満と足利義政。金閣寺を建てたのはどっち?松井珠理奈と松井玲奈。竹内まりやと西内まりや。アーサー・ミラーとヘンリー・ミラー。マリリン・モンローと結婚したのはどっち?村上春樹と上村春樹。藤沢周平と藤沢周。筒井康隆と筒井道隆。浜村淳と浜村純。稲本潤一と稲垣潤一。鈴木杏樹と鈴木杏。木内みどりと木ノ内みどり。田中美佐子と田中美奈子。岩崎宏美と岩崎ひろみ。沼尻沙弥香と沢尻エリカ。陣内孝則と陣内智則。宮川大輔と宮川大助。横山由衣と横山結衣(元AKB46)、女子マラソン真木和と幕末期の志士・真木和泉。巨人の外国人エドガー・ゴンザレス、ルイス・ゴンザレス、ディッキー・ゴンザレス。2・26事件のとき岡田啓介は義弟の松尾伝蔵と間違えられて危うく難を逃れた。ミュンヘン会談のネヴィル・チェンバレンとノーベル平和賞を受賞したオースティン・チェンバレン。コッホ(細菌学者)とゴッホ(画家)。メキシコのビクトリアーノ・ウエルタとアドルフォ・デ・ラ・ウエルタ。ロベルト・シューマン(作曲家)とロベール・シューマン(政治家)。ジョン・ネヴィル・ケインズとジョン・メイナード・ケインズは英経済学者で親子。ジョン・フレミングは電磁気学者、アレクサンドル・フレミングは細菌学者。嗚呼、ややこし、ややこし。

   「或る女」など大正時代の小説家・有島武郎と飄々とした惚けた味で知られた昭和の喜劇役者・有島一郎も紛らわしい2人である。三省堂の「日本文学史」(1967年)に何と有島一郎が掲載されている。もちろん有島武郎の誤植である。受験勉強のチョットした息抜きと印刷工がイタズラしたのだろうか。

 

  紛らわしい2人

 

藤原鎌足 藤原釜足

 

高野長英 高橋長英

 

飯田忠彦 飯田久彦

 

横光利一 横光克彦

 

財津一郎 財津和夫

 

人見明   人見きよし

 

中原早苗 中原ひとみ

 

鰐淵晴子 馬渕晴子

 

大辻司郎 大辻伺郎

 

永井智雄 永井秀明

 

小室直樹 小室哲哉

 

三浦和義 三浦知良

 

タッド若松 若松孝二

 

泉アキ   泉じゅん

 

河村隆一 川村龍一

 

黒川智花 黒川芽衣

 

木村佳乃 木村文乃

 

田中麗奈 田中れいな

 

蒼井優   蒼井そら

 

夏川純   夏川りみ

 

綾戸智恵 上戸彩

 

酒井若菜 酒井美紀

 

奥菜恵   奥貫薫

 

木之内みどり 木内みどり

 

水崎綾女 水崎綾

 

玉置宏  玉置浩二

 

玉木宏  玉山鉄二

 

陣内智則 陣内孝則

 

沢村一樹 北村一樹 

 

羽生善治 羽生結弦

 

矢田亜希子 八田亜矢子

 

秋吉久美子 藤吉久美子

 

  外国名人はとくに誤解しやすい

 

郭泰源 郭源治

 

スチーブンソン 「宝島」と「鉄道の父」

 

エンゲルス 「共産党宣言」と「エンゲル係数」

 

フレミング 「ペニシリン」と「左手の法則」

 

アーヴィング 「スケッチ・ブック」と「ガープの世界」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食中毒で死んだお釈迦さま

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  イエス・キリストは十字架磔刑の壮絶な死であったが、釈迦はどのようにして亡くなったのだろうか。前483年(前383年説もある)、80歳の老齢となって首都ラージャグリハを出て、自分の生まれ故郷のほうに向かって最後の旅に出た。途中、鍛治工チュンダの供養したキノコの料理を食べて激しい下痢をおこした。まもなく、クシーナガラ(現ビハール州カシア)の沙羅双樹の下で安らかに没したといわれる。涅槃絵は3月15日に行われる。(2月15日)

日本軍シンガポール占領(1942年)

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   太平洋戦争における南方作戦は南方の石油獲得が目的であり、マレー作戦の成否は、以後の作戦に対して決定的意義を持っており、最も重要視された作戦であった。山下奉文中将指揮する三個師団基幹の第25軍は、昭和16年12月8日を開戦日を決定した。そして昭和17年2月15日にはシンガポールを陥落した。

   シンガポールは陥しても
   まだ進撃はこれからだ
   遺骨を抱いて俺はゆく
   守ってくれよ戦友よ
      (「戦友の遺骨を抱いて」)

   山下奉文中将と英軍パーシバル中将の降伏交渉は15日夜に行われた。日露戦争の乃木稀典将軍とステッセル将軍の会見場面を思い浮かべながら会見に臨んだ山下は、降伏条件の一つ一つに注文をつける英国式のやり方と、通訳の拙さに堪りかねて、「イエスかノーか」の回答を求めた。これが勝利に思い上がった傲慢な態度と宣伝されてしまい、山下が願った美しい会見の場は実現できなかった。

2025年2月13日 (木)

中学英語からやり直す

 日本人の多くは英語が苦手である。EFが先ごろ発表した調査結果によると、日本人の英語能力指数は世界ランキングで92位である。1位がオランダ、2位ノルウェー、3位シンガポール。日本は最下位に位置する。もう一度、中学英語からやり直そう。

 英語で「四捨五入」はなんて言う?

  正解は、round off

Please ronndd off the amount

 総計を四捨五入してください

  *  *  *  *  *

 英語で「改札口」はなんて言う?

 正解は、ticket gate

Let's meet at the ticket gate tomorrow.

 明日は改札口で待ち合わせしよう。

  *  *  *  *  *

I drink coffee every morning.

毎朝コーヒーを飲みます。

I go to school by bicycle.

自転車で通学しています。

 

I struggle with English.

私は英語と悪戦苦闘する。

 

I live by myself.

一人暮らしだよ。

 

2025年2月12日 (水)

レトルトカレーの日

 昭和43年のこの日、日本初のレトルトカレー「ボンカレー」が発売された。最近あまり動向を聞かない政治家、小沢一郎。カナリア、インコ、文鳥など、小沢一郎が自宅で飼っている小鳥は40羽以上いる。これらの小鳥のえさやりなど世話をするのは、住み込みしている書生たちの仕事である。小沢邸では働いている秘書や書生は常時20人ほどいる。午前5時に起こされて、庭の草むしり、犬の散歩、小鳥の世話、朝食の準備、と目の回る忙しさ。あるとき小沢はゴミ箱から封を切らないレトルトカレーを見つけた。「お前はボンカレーを捨てただろう」と書生にいった。「先生、賞味期限を1ヵ月も過ぎていました」と書生は答えた。「実際に食べてみてダメだと思ったら捨てろ。食べてもいないのに表示だけを信じるな」と小沢は注意した。人の噂やレッテルをむやみに信じず、自分で体験して納得したことだけを信じろと諭したのである。(2月12日)

 

2025年2月10日 (月)

スズメ

   朝にチュン、チュンという鳴き声で目覚めるぐらい身近に存在するスズメ。そのスズメが減っているという。「全国鳥類繁殖分布調査」を実施したところ、20年前と比べて約3割以上も減少していることが判明し、このままの減少が続けば、将来的には絶滅危惧種に指定される可能性があるといわれている。なぜ今、減っているのだろうか?未舗装の空き地や農村での水田、畑地などが少なくなり、餌場が減ってきていること、などがあげられます。

留学するならオックスフォードかケンブリッジか?

Oxford_university_students_academic  NHK連続クイズホールドオン166。「アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィンの出身大学は?」正解はケンブリッジ大学。オックスフォードの出身者には「ガリヴァー旅行記」のスウィフト、C・S・ルイス、トールキンなど作家が多い。つまりケンブリッジのほうが理系に強く、オックスフォードのほうが文系に強い。最近の評価では図書館とコンピューター環境ではオックスフォードのほうが上という評価らしい。日本人が留学するならオックスフォードが一般的である。(Canbridge,Oxford)

 

 

同盟市戦争

 紀元前91年から数年間、都市国家ローマと同盟を結んでいた同盟市のうち、主にイタリア南部の都市国家やサムニウム、マルシ族、ルカニ族などの部族が、ローマ市民権を求め蜂起した戦争。紀元前98年、ローマでカエキリア・ティディア法を発布。自由主義的な民衆向け諸文法に対処。紀元前95年、2人の執政官は、ローマ市民権を特にないラテン人やイタリック人をローマから追放するリキニウス・ムキウス法を通過させる。この法が同盟市戦争の原因とされている。紀元前90年、反乱に参加しなかった同盟市とラテン人にローマ市民権をあたえるユリウス法が成立した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日露戦争開戦

    1895年、下関条約に対する三国干渉で日本に遼東半島を還付させたロシアは、代償として旅順・大連を租借し、東清鉄道を敷設して、着々と満州へ進出していたが、1900年に義和団の乱が起こると、いよいよ兵力を増強した。日本は、ロシアの南下に同じ脅威を抱く英国と日英同盟を結ぶとともに、内に軍備の増強に努めた。1904年2月10日、日本はロシアに対して宣戦布告した。実際はその2日前、連合艦隊が仁川港に入港し、夜襲によりロシア軍艦2隻を撃沈し、火蓋は切られている。日露戦争は翌年に終結し、ポーツマス条約で、南満州の諸権益を譲渡させたほか樺太南半を割譲させた。戦後は欧州の国際政局の変動もあり、両国は1907年に日露協約を結んで接近し、鮮満蒙の勢力範囲を協定した。大正時代には第一次世界大戦中に日本は大陸で帝国主義政策をすすめ、ロシア革命に際してはシベリア出兵を敢行したが、1925年の日ソ国交回復とともに撤兵した。昭和時代に入ると、日本の政策は軍国主義に傾き、1931年には満州事変を起こして、1933年に国際連盟を脱退したのち、翌年から日華事変を戦って米英との対立を深めると、1941年には日ソ中立条約を結んで南進策に転じた。その結果、太平洋戦争が起こったが、ソ連は米英と1945年にヤルタ協定を結んで突如参戦し、樺太・千島を占領した。戦後のサンフランシスコ講和条約にソ連は調印せず、1956年に日ソ協同宣言が採択されて国交は回復されたが、ロシアとなった現在も南千島を固有の領土と主張する日本との間に北方領土問題がまだ懸案として残っている。

2025年2月 8日 (土)

芸名アラカルト

 日本テレビのドラマ「彼女たちの犯罪」。前田敦子・深川麻衣・石井杏奈と旬の3人の美女が主演だったが、実は、もうひとり美人が出演していた。名前を調べたら「ほな・いこか」という。「ゲスの極み乙女」のドラム担当。女優でも活躍中である。「徳川一郎」という歌手を知っているか。「昭和枯れすすき」で150万枚の大ヒットを飛ばした「さくらと一郎」の男性のほうである。芸名調べは面白い。

    旧国名を芸名とする芸能人は多い。近江俊郎、浪花千栄子、淡路恵子、丹波哲郎、山城新伍、長門裕之、長門勇などいずれも大物ぞろい。もともと旧国名は「大和」「武蔵」「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」と日本海軍の専売でそれも戦艦にだけ称するビッグネームである。戦後は解禁となって新スターが続々と使用したものである。ところが国名だけに重厚で責任がともなう。都はるみがプロデュースした歌手「大和さくら」はその重責に耐えかねてかスターになれなかった。美人で歌唱力もあったが、芸名の荷が重すぎた。讃岐(香川県)を芸名にした讃岐祐子も「ハローグッドバイ」という名曲を残したものの70年代B級アイドルで終わった。

    歴史上の人物をすこしもじって芸名にするチャッカリ屋もいる。藤原釜足は大化の改新・藤原鎌足、中村是好は満鉄総裁・中村是公の名を拝借している。アクションスター内田良平は右翼大物の内田良平を拝借したのか定かではない。たまたま歴史上の人物と重なった場合もあるだろう。しかし内田良平ほど役柄と芸名がピッタリとした俳優をほかに知らない。

一万慈鶴恵(いちまんじつるえ)という変わった名前の女優がいた。東宝の怪獣映画のエキストラとして出演している。クレジットには一万慈多鶴恵(いちまんじたづえ)と書かれている場合もある。

歌手の矢吹健は「あしたのジョー」矢吹丈から拝借した芸名なのか不明である。

「山のロザリオ」などのヒット曲で知られる女性三人組コーラス・グループ「スリー・゜グレイセス」。Three Gracesとは、ギリシア神話の三美神のことであろうか。ゴダイゴのバンド名は後醍醐天皇に因む。ミッキーの名字が吉野→吉野朝廷→後醍醐天皇。

アメリカの喜劇俳優レッド・スケルトン。スケルトンとはストーブの燃焼筒のこと。レッド=赤、で火が燃えている、というシャレなのか。イギリスの名優マイケル・ケインは偶然映画館で「ケイン号の叛乱」が上映されていて、ケインを芸名にした。

光風霽月

 コウフウセイゲツ。さわやかな風とさえわたった月。黄庭堅の「濂渓集」には、周敦頤の人柄をほめた言葉として、性質がさっぱりとしていて、わだかまりがないこととして使っている。書道家によく好まれて、座右の銘にされている方も多い。

 

針供養

 ミシン台並びやすめり針供養 石田波郷

役目終えた針を豆腐に刺して、感謝を捧げる行事。関東は2月8日に、関西は12月8日に開催されることが多い。

 

郵便マークの日

Ishikawa_hitomi_06    本日は「〒マークの日」。明治20年2月8日、逓信省は郵便マークを制定した。逓信省の頭一文字、片かな「テ」を図案化したものといわれる。「逓」とは「つたえる」という意味。「次々と横に渡していく。リレーする」という意味がある。唐代駅伝の制度は都長安を中心に整備されたが、郵による官文書の逓送が行われた。「長安を出で逓に乗じて行く」と白居易の詩にもある。明の洪武帝は官物の輸送を担当した役所「逓運所」を設置している。日本では江戸時代、飛脚制度が整備され、江戸・大坂間は「定六」といわれて6日間が通例で急行が4日間であった。逓信省の語源は明らかでないが、郵便・電信・船舶管理・灯台業務を処理する機関であることから、駅逓+電信から逓信となったのか、本来から逓信という漢語が使用されていたのか定かではない。しかしながら、「逓」という字は戦前は小学生でも読めただろうが、現在では大人でも読めない人がいるだろう。〒マークは最初は甲乙丙丁の「丁」だったという。ところが外国では郵便料金不足の表示「T」と紛らわしいとわかり、14日に「〒」に変更したといわれる。

2025年2月 7日 (金)

靉靆(あいたい)という漢語を読めますか?明治初期の漢文漢語の流行

   漢文とか漢学というと、古臭くて得たいの知れない代物と思われそうだ。しかし最近、自分より少し年下の行政経営の方と一献酌み交わしたときに、ジャズや芸術論の話が出た後に「あなたは何をしているのか」と聞かれたので「東洋史です。最近は漢学に興味がある」と正直に言ったら「漢学は奥が深い」と言ってくれた。その一言がとてもうれしかった。

   漢学や儒教は古臭くて、近代日本の発展を阻害した元凶のように考えている人が多数いるが、本来、文化性・合理性を持った学問である。また明治以後の日本の近代化に果たした役割も大きい。朱子学、古学、陽明学などの三学は多少の差はあっても、本質的には思弁的な学問であり、主要なテーマは理と気であり、心であり、性である。つまり幕末明治の漢学者たちは、洋学の受容に先立って、理詰めの判断による事象の理解ができていた。従って彼らにとって洋学も決して異質の学問ではなかった。彼らは漢籍の読書過程で、すでに洋学理解に必要な判断力を備えていたのである。

    明治維新と言えば「文明開化」が同義語のように思われ、漢学は一斉に退潮したと考えられがちであるが、実際は明治初年には「漢語の流行」という現象が起こっている。当時流行した漢語で「勉強」「規制」「注意」「関係」「管轄」「区別」「周旋」など今日もなお日常語として残っているものも少なくない。

    牧野謙次郎は次のように解説している。

明治初年にはなお旧幕の鴻儒が生存し、漢語漢文の流行があった。例えば、当時の言葉、髪床は理髪店と改められ、風呂に入ることは入湯と称せられ、不都合をした時は、失敬と謝るようになった。この漢語の流行を来たした原因は何であったかというに、幕末維新の際、国事に奔走した全国諸藩の人々は、互いに交通し会合する必要があった。しかし各国にはそれぞれ方言があって、今日の如く標準語が普及していても、しかも仙台の人と鹿児島の人とが国の訛りで話せば話が通じないであろうが、当時はなおさらのこと、話す言葉が理解できず、非常に会話の障害となった。そこで漢語ならば話に問題がなかろうという所から、漢語がこれらの社会に流行するに至ったのである。そして維新後には、これらの人々が多く要路に立ったため、ついに漢語が上流社会の言葉となったのである。(「日本漢文学史」昭和13年)

 明治の小説家たちの文章で注意すべきことは、現代ではほとんど使われない自然にかかわる描写・形容などの類の漢語が多い事である。例えば「靉靆(あいたい)」という漢語がある。「雲のたなびくさま。また、雲の厚いさま」を表現しているが、「紫の雲 靉靆と棚引き」(坪内逍遥「細君」)のように使われる。

「蕭条(しょうじょう)」ひっそりとしてもの悲しいさま。「十一月の近づいたことを思わせるやうな蕭条とした日で」(島崎藤村「破戒」)

 

(さい)意味は「そそぐ」。志賀重昴「日本風景論」に「懸瀑灑灑砕雨をなす処」と見える。「灑灑(さいさい)」は水などがそそぎ落ちるさま灑。

「灑掃」さいそう。水をかけて洗い、ほうきではき清める。そうじをすること。

二字熟語の研究

    知っているようでしらない漢字。二字熟語で覚えるのがコツ。意外とめでたい語より、悲しい、恨み、恐れ、などの強い感情の入り混じる熟語が精神の鍛錬には良い効果がある。

 

矍鑠(かくしゃく) 年老いても、丈夫で元気なさま。

 

詭弁(きべん)   筋道の通らないことをたくみなことばで言いくるめごまかす議論。

 

志尚(ししょう)  気高い志

 

憔悴(しょうすい) 病気・悲しみ・心配ごとなどのためにやつれること。

 

勝概(しょうがい)    素晴らしい景色。勝景。

 

盈虚(えいきょ) 月が満ちたり欠けたりすること。栄枯

 

忖度(そんたく) 他人の心の中をおしはかる

 

忍性(にんしょう)生まれつき持っている飲食・色欲の性質をこらえ押さえる

 

忘優(ぼうゆう) 憂いを忘れる

 

忸怩(じくじ)   心に恥じるさま

 

忠鯁(ちゅうこう)真心があって剛直なこと

 

念祖(ねんそ) 祖先のりっぱな名をけがさないと思う

 

忿怒(ふんど)  怒り

 

怨骨(おんこつ) 恨みながら死んだ人

 

怯懾(きょうしょう)おじけ恐れる

 

怙終(こしゅう)  自分の行動に自信をもって、ふたたび罪を犯す者。一説に、悪事を頼みにして生涯改心しない者。

 

思殺(しさつ)   深く思う。殺は強意の助字。

 

思服(しふく)   常に深く思って忘れない。服は心にいだく。

 

怵惕(じゅってき)心が恐れてびくびくする

 

忽卒(そうそつ) 忙しいさま

 

怊乎(しょうこ)  いたみ悲しむさま

 

怫恚(ふつい)  むっとして怒る

 

悁恚(けんい)  怒る

 

悔吝(かいりん) あやまちを悔やむ

 

恢誕(かいたん) 言説が大きいだけで実がない。大げさででたらめ

 

恪勤(らくきん)  職務によく励む

 

改竄(かいざん) 書類などを自分の都合のよいように書きかえること

 

恭虔(きょうけん) うやうやしくつつしみ深い

 

恵雨(けいう)   草木をうるおす恵みの雨

 

恒心(こうしん)  常に変わらない心

 

更迭(こうてつ) ある地位や役目についている人が入れかわること

 

恣欲(しよく)   欲望をほしいままにする

 

恤刑(じゅつけい)刑罰をみだりに加えないようにつつしむ

 

擾乱(じょうらん)世の中がさわぎ乱れること

 

恕思(じょし)   思いやる

 

追従(ついしょう) 人の機嫌をとっておせじを言うなどすること

 

恬淡(てんたん) 心が静かでさっぱりしているさま

 

恫喝(どうかつ)  おどしつける

 

篤敬(とくけい)  誠実でつつしみ深いこと

 

悪果(あっか)   悪い報い

 

患害(かんがい) わざわい

 

悉曇(しったん)  成就。完成。

 

悌友(ていゆう)  兄弟や長幼の仲がむつまじいこと

 

韜晦(とうかい)  自分の本心や才能・地位などをつつみかくすこと

 

悖行(はいこう)  道にはずれた行い

 

莫逆(ばくぎゃく) 親しい間柄

 

篳路(ひつろ)   飾りのないこと

 

謬見(びゅうけん)     まちがった意見。誤った考え。

 

悠忽(ゆうこつ)  とりとめもなく月日を送る

 

悒鬱(ゆううつ)  心がふさぐ

 

遥昔(ようせき)  遠い昔

 

怜悧(れいり)   さとい。りこう

 

悢悢(りょうりょう)悲嘆するさま

 

悋嗇(りんしょく) 極端に物惜しみをする

 

惟神(いしん)   神のみ心のまま

 

惋恨(れんこん)  嘆き恨む

 

齟齬(そご)     意見や物事がくいちがうこと。

 

 

 

 

 

 

北方領土の日

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   本日は「北方領土の日」(Northern Territories Day)  1855年2月7日、日露和親条約が調印された。この条約は両国の国境を択捉島とウルップ島との間と定めたもので、北方四島は日本の領土と確認された。近年、日ロ両政府間で北方四島のうち歯舞群島と色丹島を先に引き渡すことで北方領土問題を進展させる「2島先行返還論」が浮上している。

 

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2025年2月 6日 (木)

大坂城落城と千姫

   徳川秀忠の長女、千姫は寛文6年のこの日、江戸で没した。享年70歳。2023年度の大河ドラマ「どうする家康」は作品の評判は芳しくなかったものの、終盤の大坂夏の陣で千姫を演じた原菜乃華の熱演ぶりが目を引いた。今も大活躍している若手女優である。ところで千姫は、7歳で豊臣秀頼に嫁ぐが、千姫の半生は戦国の姫の中でも小説・映画などでトップクラスに多くあるものであるが、史実からほど遠い作品ばかりである。なかでも大坂城落城の件は物語的である。大坂夏の陣で炎につつまれた大坂城からの千姫救出作戦の時、家康は姫を助けた者に妻として与えることを約束した。坂崎出羽守(直盛)は無事に千姫の救出を成し遂げた。しかし千姫は出羽守を嫌って、本多忠刻に嫁ぐことになった。出羽守としては約束を違えられて武士としての面目がたたなかった。元和2年、本多忠刻と再婚のため江戸から桑名に向かおうとしたさい、出羽守は千姫の輿を奪おうと謀ったが、失敗し自害したという。この逸話は史実と巷説とが混在しているが、坂崎出羽守は「愛のために死す」武将としてその名を後世に残すことになった。(2月6日)

 

 

 

2025年2月 5日 (水)

裏急後重(りきゅうこうじゅう)

 「快便は、健康のバロメーター」といいますが、お通じの悩みを持つ人は多い。「裏急後重」という言葉を御存知でしょうか?広辞苑にも載っています。 渋り腹のこと。しきりに便意を催すのに排便がごく少量で、すぐまた行きたくなる症状。テネスムス。谷崎潤一郎「細雪」で四女妙子が赤痢になって裏急後重の苦しみに陥る場面がある。

 

2025年2月 4日 (火)

「草枕」に使用されたる漢語の研究

2011062419570000   余は西洋画家。非人情の旅に出て、宿で那美というファム・ファタールの女に出会う。しかし女の顔を画にするには何かが足りない。ラスト汽車を見送る瞬間、那美の顔に「憐れ」をみてとる。「それだ!それだ!それが出来れば画になりますよ」と余は言った。

    初めて読んだのが中学1年生のとき。以後、何度も断片的に読み返す。難しい漢語があるので、全てを理解したわけではないが、漱石を通じて漢語に興味を覚えた。「坊っちゃん」の平明体に対して、「倫敦塔」、そして「虞美人草」に至る浪漫的な文体である。また「草枕」には漢籍の大家、漱石の面目躍如たるものがある。

氤氳(いんうん)

「氤氳たる瞑氛が散るともなしに四肢五体に纏綿して」。大地の気が盛んなさま。

一節の「峠道」の冒頭部分から難読語をひとつ挙げてみる。

雲煙飛動(うんえんひどう)

「雲煙飛動の趣も眼に入らぬ」雲や煙が目の前を過ぎてゆくさま。自然の風物。

璆鏘(きゅうそう)

「璆鏘の音は胸裏に起こる」。璆は玉のふれ合ってなる音。鏘は金石の響き。ともに美しい音調の意。ここでは立派な詩の意味。

 

(femme fatale)

 

 

2025年2月 3日 (月)

喜望峰発見(1488年)

   喜望峰はアフリカの最南端ではない。最南端はアガラス岬だが、歴史的理由で喜望峰の方が有名である。ポルトガルのバルトロメウ・ディアス(画像)が1488年のこの日、ヨーロッパ人で初めて喜望峰に到達した。

   ポルトガル国王ジョアン2世の命を受け、ディアスがリスボンから出航したのが前年8月のことである。ディアスを乗せた2隻のカラベル船は暴風に流されて陸地から離れ、13日間の漂流ののち、フレッシュ湾にたどり着いた。嵐のなか、知らず知らずのうちに喜望峰を回っていたのである。ディアスはさらに北東進するが、グレート・フィッシュ川の河口で、引き返すことをよぎなくされた。悪天候と食糧不足で、乗組員たちの忍耐はもはや限界に達していた。帰途、往路に気づかなかった大陸南端に立ち寄り、遭遇した嵐にちなんで「大嵐の岬」と命名し、12月に帰国した。同岬は、のちにインド航路発見の願を込めて、ジョアン2世により「喜望峰」と改名された。バスコ・ダ・ガマが喜望峰を通過し、インド南西岸のカリカットに到着したのは、それから9年後の1497年11月22日のことである。(2月3日)

 

 

2025年2月 2日 (日)

神聖ローマ帝国のイタリア政策の功罪

   962年のこの日、東フランク王国ザクセン朝のオットー1世はローマ教皇ヨハネス12世より戴冠された。神聖ローマ帝国の誕生である(ただし「神聖ローマ帝国」という名称そのものは15世紀のもの)。ドイツではザクセン朝、シュタウフェル朝と10世紀から11世紀までドイツ皇帝のイタリア介入は続いた。かつてのアウグストゥスやトラヤヌス、あるいはカール大帝の偉業を夢見て、神聖ローマ皇帝の関心はつねにイタリアに向けられた。世界史での評価は概ね「皇帝のイタリア介入は後年の皇帝対教皇の対立を生み、歴代のドイツ皇帝がイタリア経営に精力を注いで国内統治をおろそかにしたため、ドイツの領邦分裂につながった」としている。しかし一方で、ドイツのイタリア政策に好意的な評価もある。「イタリアを抑え、教皇を意のままに利用することが、ドイツ諸侯統御のために必要であった」との解釈も出されているから歴史の評価は難しいものだ。(2月2日)

 

 

なぜ「園芸」を「ガーデニング」というのか?

Tky201309030664   近年、テレビ、新聞、雑誌などのメディアで「カタカナ語」が氾濫している。ソーシャル・ディスタンス、リモート、コンセンサス、アジェンダ、コンセプト、リスペクト、モジュール、ワークショップ、リーク、マイノリティー、カンファレンス、レジェンド、ガバナンス、コラボレーション、コンプライアンス、クライアント、ポテンシャルなどなど。その使用は増える一方のようで、インターネットの普及によりさらに加速したといわれている。国立国語研究所の意識調査によると、3087人の調査対象者の内、81.2%が外来語を使う機会が多いと感じ、17.2%が感じないと答えた。さらに、今以上に外来語が増えることについて意識を聞いたところ37.1%が好ましい、55.3%が好ましくないと答えた。先ごろ、公共放送であるNHKの外来語多用が視聴者から指摘されたが、ことばの問題はマスコミ内だけでなく社会全体の問題でもある。銀行・金融などの説明書もカタカナが氾濫している。ホールディングス(持ち株会社)、マネーロンダリング(資金洗浄)、デリバティブ(派生商品)など。官公庁などの公文書作成にあたっては「なじみの薄い外来語をむやみに使わない」「仮名の多用は慎むよう心掛けるものとする」とある。国語研究所の言い換え事例としては、グローバリゼーション→地球規模化、インフラストラクチュア→社会資本、などである。私は不必要にカタカナ語を使わないようにしている。

  一方で言い換え反対論者の山口仲美は「現在の日本はアメリカ文化が浸透しているのだから、片仮名の外来語のままにしておいて意味の定着を育つべきである」とする意見もある。洋画のタイトルなども原題をそそのままというケースが目立っている。嚆矢は「イントレランス」(1916)であろうか。intolranceとは「耐えられないこと」「狭量」「不寛容」の意味。つまり人類の不寛容の歴史をテーマとするものであった。カタカナ語そのままか、言い換えかの問題は100年の歴史がある。1934年8月29日、松田源治文相が「パパ・ママの呼び名は孝道にもとる」と発言して論争になったことがある。

   「ガーデニング」という今日では一般化された外来語がある。いつ頃から日本で使用されるようになったか調べたが、正確にはわからなかった。おそらく1970年代は誰も使うことはなかったが、1980年代以降、90年代になると頻繁に使われ出した。わが国では、長い間、「園芸」には「ホーティカルチャー horticulture」という英語を対応させてきた。しかし1990年代になって園芸を「ガーデニング」と呼ぶようになっている。欧米では、ホーティカルチャーという言葉はいわば学術用語で、家庭園芸の世界では、ガーデニングを使うのが一般的であることが知られるようになった。日本の伝統的な園芸では盆栽や菊などの鉢植えを狭い庭に並べておくという古臭いイメージだが、バラなどの草花が庭園に咲くイメージでガーデニングが好まれるのであろう。だが結局は園芸とガーデニングは同じことである。ガーデニングといえばカッコよく聞こえるだけだろう。「園芸」と呼ぶのか、「ガーデニング」と呼ぶのか、悩ましい問題である。

 

 

2025年2月 1日 (土)

スエズ運河の国有化宣言(1958年)

Nasser109b   1958年のこの日、エジプトとシリアが連合協定に調印し、アラブ連合共和国が成立した。 その2年前、エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言して、一躍ナセルの名前が世界中に知れ渡った。ナセルのフルネームは、ガマール・アブドゥン・ナーセル。 

「成せばなる。ナセルはアラブの大統領」

    林家三平のおかげでいまでもナセル大統領の名前が思いうかぶ。現在の大統領は誰か?アブドルファッターフ・アッ・シーシー。小学校の社会科でマダガスカルの首都はタナナリブと覚えたが、いまではアンタナナリボという。(Nasser,Tananarive,Antananarivo,Madagasikara,Mohammed Mursi,Adly Mansour)2月1日

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