マルティン・ルター没す
1546年のこの日、宗教改革の先駆者マルティン・ルターは没した。1517年10月31日、ルターはカトリック教会に対する「95ヵ条の論題」をヴィッテンベルク教会の門扉に張り出した。そして1521年1月3日、教皇レオ10世はルターを破門した。4月17日、神聖ローマ皇帝カール5世によってヴォルムス国会に召喚されたルターは、良心に従って、自分の著作を一言たりとも撤回することを拒否した。「私は取り消さない。神よ、我を救けたまえ、アーメン」と答えた。8月28日にはカール5世はルターの著書の購買・頒布すべてを禁止した(ヴォルムス勅令)。国外追放されたルターはヴァルトブルク城で聖書をドイツ語に翻訳した。こうしてルターによって火をつけた宗教戦争の野火は、全ヨーロッパに広がっていく。1523年職匠詩人ハンス。ザックスはルターの思想に深く傾倒し、「ヴィッテンベルクの小夜啼鳥」の詩を発表した。(2月18日)
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