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2024年12月 8日 (日)

太平洋戦争開戦記念日

十二月八日よ母が寒がりぬ(榎本好宏)

  昭和16年12月8日。この日から何年経っても、日本人には決して忘れられない日である。この日を境に人々は戦争に巻き込まれ、多くの人々の運命が暗転した。陸軍がマレー半島に上陸してイギリス軍を攻撃し、同時に海軍がハワイの真珠湾を攻撃した。米大統領ルーズベルトはこれを激しく非難して、アメリカ国民を結束させた。昭和17年6月、ミッドウェー海戦において日本は主要航空母艦3隻の沈没をはじめ致命的な敗北を喫した。8月には米軍はガダルカナル島上陸し反攻体制をととのえ始めた。昭和19年7月、日本軍がサイパン島で全滅、8月グアム島・テニアン島も占領された。米軍の進攻はさらに進み、昭和20年3月には小笠原諸島南端の硫黄島が、6月には沖縄本島が攻略され、日本の敗戦は濃厚となった。しかし、軍部は「一億玉砕」を叫び、本土決戦を強く主張した。昭和20年7月28日、無条件降伏を勧告したポツダム宣言が発表されたが、日本はこれを「黙殺する」との談話を発表した。米軍は8月6日広島、9日長崎に原子爆弾を投下した。昭和天皇は14日の御前会議でポツダム宣言の受諾を決定し、翌15日、降伏をラジオで放送し、ここに太平洋戦争は終結した。

  昭和39年に集英社から刊行された「昭和戦争文学全集」の第4巻には昭和16年12月8日の対米英戦争開始から昭和17年5月のコレヒドール攻略、珊瑚海海戦頃までの、緒戦の時期に関する記録・作品が収められている。なかでも12月8日の記録としては、太宰治、坂口安吾、伊藤整、高村光太郎、徳田秋声など諸家のものがあるが、上林暁の「歴史の日」(「新潮」昭和17年2月号)という手記が一番素直な気持ちで当時の空気を今日のわれわれに伝えているような気がする。

昭和16年12月8日は、遂に歴史の日になってしまった。(中略)隣のラジオが突然臨時ニュースの放送をはじめたのであった。「大本営陸海軍部発表、12月8日午前6時、帝国陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れリ」(中略)その時、妹が庭で干し物をしていて、隣の女中が、垣根越しに、話しかけている。何を話しているのかと思って耳を立てると、「今朝はとってもひどい霜ね」と隣の女中が言った。「屋根が雪みたようでしたね」と妹が答えた。戦争のはじまった朝だから、霜の印象が深いのにちがいない。そうかと思って、私は目をあげた。隣の屋根が水びたしになって濡れている。うちの樋からは湯気が立っている。私はそれを見ながら、戦争のはじまった朝に、隣の女中が、霜の話をしたのが、印象に深く残るであろうと思った。

    当時、上林暁(1902-1980)は39歳。妻の繁子が昭和14年から入院中であった。上林は9年間患い死んでいった妻のことを書いた一連の作品「聖ヨハネ病院にて」(1946)などで知られる作家である。この「歴史の日」でも病妻のことに触れている。自分の心境を書く小説家と、未曾有の国家的事件発生でとまどう不安な心理状況が文面からうかがえる。

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こんにちは。何時も重要な記事を有難う御座います。
感謝です。

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