英領インドにおける高等文官制度
1853年のセポイの反乱が起きたのち、イギリスはインドをたんに搾取の対象と考えるのではだめだということに気づく。そのため、東インド会社なよるインド支配を廃止し、これに代わる直接統治のための新しい行税機構を作った。インド高等文官制度(Indian Civil Service)といわれるもので、千人前後のエリート青年が大植民地を管理する精鋭として送り込まれた。1880年代以降、道路網や運河、鉄道などが急速に整備された。
参考:「1880年代英領インドにおける植民地官僚制改革問題について」本田毅彦 史林73巻1号 1990年
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