残虐刑の歴史
1873年のこの日、明治政府は火あぶり、磔刑などの残虐刑を廃止した。6年後、さらし首刑も廃しされた。これら残虐刑は古代からあったがとくに戦国武将たちが実施していた。武田信玄の残虐性は父の信虎譲りのものであろう。斎藤道三や蒲生秀行の「牛裂き」の刑も知られている。戦国武将の中でも、最も大量に残虐刑を行ったのは、やはり織田信長でろう。比叡山焼打ち、荒木村重一族の処刑などをみると、始皇帝、ネロ、ジンギスカン、ヒトラーに劣らぬ残酷さである。豊臣秀吉の行ったキリシタン弾圧も有名である。耳をそぎ、首に縄をつけ、全員を数珠つなぎにして京都より博多まで、1ヵ月も見せしめにして、長崎で磔刑にした。戦国乱世の弱肉強食の世が人を狂わし、権力者を全て異常にさせたものであろう。しかし、この残酷刑は江戸時代も踏襲された。主殺し、親殺し、関所破り、キリシタン等の重大犯に科せられる処刑は磔刑であった。受刑者を十字架にかけ手足を縛りつけ、首と腰の所も縛り、全く動けないようにしてから、着物の左右の脇の辺りをさいて肌を出すのである。その左右のわき腹の辺りから肩に突き出す様に処刑用の長い槍を「ありゃ、ありゃ」とかけ声を掛けながら、まず「見せ槍」を行い、その後一気に左右より処刑人が交互に数十回突き刺すのである。初めは血や臓物が飛び出してくるが、そのうちに大きな穴が開いて何も出なくなる。それでも突き刺し続け、最後には咽喉を右から貫いて、止めを刺したという。丸橋忠弥、平井権八、国定忠治、佐倉惣五郎夫妻らが磔刑となった。(11月13日)
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