道長「この世をば」の和歌について
この世をば我が世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば
藤原道長は、娘・彰子を一条天皇の后妃としたが、なかなか子供が生まれない。兄・道隆の娘・定子には既に皇子が生まれているので、やきもきしていたであろう。道長は皇子誕生を吉野の金峯山にまで行って祈願する。金峯山の効験があったのか、ようやく皇子が誕生する。入内して7年目のことである。出産に際しては、今度は安産を願って、加持祈祷などを常軌を逸するほどにののしり騒ぐのである。その験厚く、無事に皇子が誕生するや、道長は、皇子の敦成(あつひら)親王、後の後一条天皇を我がものにして喜ぶ。長和5年、敦成は8歳で天皇に即位し、道長は摂政となり、権勢を振った。四人の娘を入代させ、皇室の外戚として政権を独占した。翌17年長男頼通に摂政を譲り、自分は太政大臣となりその後も勢力をふるった。道長、頼通父子は、後一条・後朱雀・後冷泉の3天皇の摂政・関白として約50年間栄華を極め、摂関政治の全盛期を現出した。
「この世をば」の歌は、寛仁2年(1018年)10月16日、四女の威子が後一条天皇の女御から皇后に昇進したのを喜んで、道長自身が即興的に詠んだといわれる。「御堂関白日記」には見えず、道長に批判的だった小野宮右大臣藤原実資の日記「小右記」に記されているため、世に知られることとなった。
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