ムハンマドの死後
632年にムハンマドが没すると、アブー・バクル(在位632-634)は、離反者を討伐するとともに、アラブ部族のエネルギーをイラクやシリアなどの征服活動にに振り向けた。ムハンマドの後継者をカリフという。最初の4代を正統カリフと呼ぶ。第4代カリフのアリーは暗殺されたため、ムアーウィア1世がダマスカスにウマイヤ朝(661-750)を開いた。しかしムハンマドの娘婿アリーとその子孫にカリフ位の継承権があると主張する人々は、ムーアウィヤがカリフであることを否定し、シーア派を結成して多数はのスンナ派政権と対立していくことになる。
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