安藤昌益の墓
秋田県大館市の南の郊外二井田地区に、曹洞宗温泉寺がある。この寺域に江戸時代中期の医者・思想家安藤昌益(1701-1762)の墓がある。昌益の事績は戦前までほとんどわからなかった。戦後の研究によって生年、没年、出生地、死没地なども特定できるようになった。没年は宝暦12年10月14日である。墓石には「堅勝道因士」「昌安久益信士」と戒名が刻まれている。ところが昭和60年、大館市の安達家から昌益の位牌が発見された。位牌には「帰元賢正道因禅定門」と記されている。おそらくこの戒名は三回忌の法事のとき追授されたものらしい。明和元年10月13日、跡継ぎの安藤孫左衛門は門弟たちと法事を行った。このとき魚料理でお祝いしたことが聖道院の怒りにふれた。昌益に感化された門弟たちは信仰心をもたなくなり、昌益を神として「守農太神」の石碑を各地に建てていた。代官所は、神仏を畏れぬ行為として、石碑を打ち壊し、孫左衛門に「郷(ところ)払い」を命じた。江戸時代、昌益の思想は危険思想だったのだろう。明治の狩野亨吉が昌益の「自然真営道」の稿本を発見するまで忘れられた思想家だった。
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