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2024年10月29日 (火)

インターネットの日

4e781b2ca4aaefce0486765a023e3b37   現代は情報の時代である。日本人のおよそ9割の人がインターネットやスマホを毎日1回以上、利用している(総務省2019年統計89.8%)。まさに高度情報社会である。これほど多くの人がテレビなどのように受け身で情報を得るのではなく、自ら必要な情報を求める時代になるとは誰が予測したであろうか。SNSが急激に普及して、情報を得ることや共有することが簡単になり、便利になっていく反面、「炎上」「バッシング」という言葉をよく目にしたり耳にする機会が多くなっきた。気象情報や防災情報など命を守る安全面においても重要度が増している。情報について基礎から学ぶことが大切になっている。ところで日本において「情報化社会」とか「情報社会」とか言われ出したのはいつ頃からであろうか。情報が新たな行動を起こすための原動力となりうるものとして意識されるようになったのは、1950年代以降のことである。インターネットは開発当初、軍事目的の情報通信媒体であったが、1990年代に商業利用が始まると急速に普及した。「新詳地理資料CPOMPLETE」6頁によると、

1990年代半ば 携帯電話が普及する
2007年ごろ スマートフォンが登場する

 10月29日は「インターネットの日」。1969年のこの日、インターネットの元型であるARPAネットで初めての通信が行われた。カリフォルニア大学ロサンゼルス校からスタンフォード研究所に接続し、「LOGIN」と入力して「LO」まで送信した所でシステムがダウンした。NPLサーチで「情報」「知識」をキーワードにして検索すると、初期の文献がヒットする。

1963年 藤川正信「第二の知識の本」

1967年 川添登「情報社会と思想の自立」 展望107

1968年 増田米二「情報社会入門:コンピュータは人間社会を変える」

1969年 林雄二郎「情報化社会:ハードな社会からソフトな社会へ」

 林雄二郎の著書は有名で「情報化社会」をわが国で最初に紹介したといわれる。しかし、それ以前からビジネスの世界では「情報収集」が企業の存立にとても重要との認識が広まっていた。それは1960年代の高度成長期であり、慶應図書館学科の藤川正信が情報の重要性を唱えた嚆矢である。その後、有田恭助の「情報の集め方」(カッパ・ビジネス、1964年)は梶山季之の産業スパイ物のブームを背景にベストセラーとなった。書き出しは「人間の一生は、情報収集の連続である。私たちは、この世に生を受けたときから、死に至るまでのあいだ、つねに、外部の情報を集め、それを分析して行動を決める、という仕事を行なっている」。著書は産業スパイが反社会的行為であり、いかに正々堂々と情報を収集するか、その意義を説いている。いまのような情報検索システムが普及する以前は、図書館の目録カードがこの役割を果たしていた。わたしは1970年代に図書館の整理業務にたずさわり、目録の編成に心血をそそいだ。しかし、書名目録、分類目録は機能したが、主題から検索できる件名目録は充分な成果をあげることができなかった。件名目録は日本図書館協会より刊行された基本件名標目表にある統制語によって構成される。つまり今のネット検索のように何でも思いつくワードで検索できるのではなく、限定されたワードしかヒットしない。利用者も件名目録の特性を十分に理解する人はなく、件名目録が十分に活用した図書館はほとんどなかった。現在このBSHが現場でどれくらい活用されているかしる由もないが、おそらく自然消滅のような状態になっているのだろう。しかし図書館学における検索機能が何らかの形で現代の情報検索機能に反映されているものと思っている。

    このような情報化社会にあって、反対に「情報はいらない」「新聞は読まない」と豪語する有名人がいる。タレントの長嶋一茂さんだ。元プロ野球選手で、現在はテレビのバラエティ番組などでその顔を見ない日はないほどの売れっ子タレントぶりの活躍である。発言内容の天然ぶりと苦労しらずの人柄が面白い。なぜコメンテーターをしながら、多くの知識を入れようとしないのか。ネットでエゴサーチをすると不快な記事を読むからかもしれない。「勉強しない」とかの発言も反知性主義とみることもできる。経済的な不安を知らずに育った一茂さんは、一種の貴族的な地位にあり、勉強したり、世間に認められようという立身出世主義は皆無の生き方をしてきた。広く多くの情報を入手して正しい結論を導くのではなく、自己の直感でコメントするようである。現代マスコミの寵児がこの情報の時代に情報を全否定することも面白い。つまり誰でもが簡単に情報が入手できるので、総合的な知識とか、いわゆる教養とは要らないと考える。反知性主義のようなものが若者たちの間に自然と広まっていることを憂慮している。

 

 

 

 

 

 

 

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