「浮雲」と屋久島
成瀬己喜男監督の「浮雲」が19日にBSプレミアムシネマで放送される。原作は林芙美子が昭和24年に発表した小説である。小説の最後の舞台となる屋久島はことに「屋久島の豪雨」を有名にしたという。
「ここは、雨が多いんだそうですね」富岡が一服つけながら、軽い箱火鉢を引き寄せて聞いた。「はァ、一ヶ月、ほとんど雨ですな。屋久島の月のうち、三十五日は雨といふ位でございますからね……」
この有名な件は「一月(ひとつき)に35日雨が降る屋久島は……」とブログ検索で調べても、現在、屋久島の枕詞のように使われている。しかし林芙美子は「屋久島紀行」を残しているように綿密な現地取材をする作家なので、おそらくこの言葉は現地の人から実際に聞いた言葉であろう。また小説の主人公の終焉の地であるところから、文学ファンにとって、屋久島は暗く悲しいイメージがつきまとった。しかし現在は世界遺産として観光客も多く暗いイメージは微塵もない。身近に屋久島に旅行した人に話を聞いたが、小説「浮雲」のことは全然知らなかった。戦後の話は遠い過去だったのだ。
終戦直後、幸田ゆき子は恋人の富岡兼吾を追って、仏印ダラットから福井の敦賀へ引き揚げてきた。だが、富岡には妻がいるばかりか、複数の愛人とも情事を重ねている。それでも、富岡と別れられないゆき子は、もう一度やり直そうと二人は旅にでる。ゆき子は屋久島に向かう途中で病気になる。やっとのことで屋久島にたどりつくが身動きできないようになった。ある豪雨の日、勤務中の富岡に急変の知らせが届く。富岡は、明かりを持ってきてゆき子の死に顔を見つめて、すすり泣くばかりだった。
*
風が出た。ゆき子の枕許のローソクの灯が消えた。富岡は、よろめきながら、新しいローソクに灯を点じ、枕許へ置きに行った。面のように、表情のない死者の顔は、孤独に放り出された顔だったが、見るものが、淋しそうだと思ふだけのものだと、富岡は、ゆき子の額に手をあててみる。だが、すぐ、生き身でない死者の非情さが、富岡の手を払いのけた。富岡は、新しい手拭いも、ガーゼもなかったので、半紙の束を、屋根のように拡げて、ゆき子の顔へ被せた。
*
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」
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