熊谷直実没す(1208年)
承元2年のこの日、熊谷直実没す。 浄土宗・熊谷寺には、その名のとおり熊谷直実の木像が安置されている。鎌倉時代初期の武将・熊谷直実(1141-1208)は須磨・一ノ谷の戦いで先陣をつとめ、平敦盛の首を討ち取り、武士道の悲劇を身に沁みて知り、菩提を弔うために出家したという哀話は、「平家物語」や浄瑠璃「一谷嫩軍記」などで名高い。しかし、本当の出家の理由はなんであろうか。建久3年(1192)、久下直光と所領を争って、答弁のふてぎわから頼朝に疑われたことを憤慨し、出奔して京都へ行き、法然の弟子となって、蓮生と称したという。一ノ谷の合戦から8年後のことである。(9月4日)
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