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2024年9月 8日 (日)

御真影は焼けてなかった

   明治23年10月29日、「教育ニ関スル勅語」が発布された。教育政策はしだいに国家主義的な方向に転換し、忠君愛国が教育の目的として強調され、こののちながく教育の基本理念とされた。小説家・久米正雄は幼いころ父、由太郎を亡くしている。長野県の町立上田尋常高等小学校長だった久米由太郎は、明治31年3月27日夜に起きた、原因不明の火災で全焼し、学校の奉安殿(御真影と教育勅語を奉納してある場所)にあった御真影が焼失したため責任を取ってその3日後に割腹自殺をしている。また札幌の小学校では豪雪から御真影を死守するため校長が殉職している。戦前にはこのように火事や災害から御真影を守ろうとして、死亡するという悼しい話は数多くあった。ところが近年、久米由太郎の自殺の原因は御真影ではなかったという説がでてきた。実はこの時、宿直の先生が御真影と教育勅語をうまく持ち出して助かっていた。由太郎が自殺した原因は、かつて天皇の行在所となった由緒ある建物を焼失したという責任をとって自殺したのである。しかし新聞各紙は御真影を焼いた責任として「見事な死」として美談に仕立てたというのである。(10月29日) 参考:「御真影に殉じた教師たち」岩本努 平成元年

 

 

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