殺し屋将軍、董卓
董卓。字は仲頴、隴西郡臨洮の人。若くして羌族の中に入り、羌族の豪師と交わった。性格粗猛で腕力は人に過ぎ、羌人を恐れさせたという。桓帝の末年、中郎将張換に従って、羌を討って功をあげ、霊帝のとき前将軍となったが、既にこのときには強大な軍隊を持っていた。
189年、霊帝が没すると董卓は何進に招かれ、軍兵3000を率いて洛陽に入り、少帝を廃して献帝を立て、何太后を殺した(9月3日)。かれとその軍隊は暴虐のかぎりを尽くしたため、袁紹の同盟軍に攻められ、洛陽を焼き払って長安への遷都を強行し、自ら太師となった。董卓の凶暴はますます甚だしく、192年、かねがね董卓誅殺の機会をねらっていた司徒王允の謀略により董卓の腹心の呂布に宮中での宴席で斬殺された。董卓はでっぷり太った男だった。死体は市場にさらされたが、見張り番の役人が、特大の灯芯をつくって死体の臍にさしこみ、火をつけたところ、何日間も燃えつづけたという。
この喜びもつかのま、董卓の死後、部下の間に同士討ちがはじまった。長安の城中は戦火に焼かれ、400年の漢王朝の治下に蓄積された富と文化財はすべて破壊されつくし、瓦礫に帰した。長安の地は、董卓が遷ってきたときは50万ぐらいの人口があったといわれるが、人民の死亡と逃亡とによって、「また人跡なし」と記される荒廃の野となった。
董卓は黄巾の乱とともに漢王朝を揺るがし、群雄が割拠する口火を切った人物といえる。
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