クレオパトラは本当に美女だったのか?
紀元前30年のこの日、エジプト女王クレオパトラは毒蛇のコブラに乳房を噛ませて自殺したとされる。古来からクレオパトラは絶世の美女とされ、これまで何度も映画化された。ジョヴァンナ・テリビリ・ゴンザレス、セダ・バラ、クローデット・コルベール、ヴィヴィアン・リー、リンダ・クリスタル、パスカル・プティ、マガリ・ノエル、ジョーン・クレール、エリザベス・テーラー、ヒルデガード・ニールなど。なにせ世界中で映画化されているのでその正確な数はわからない。
このようにクレオパトラは現代でも美貌と知性を兼ね備えた女性として人気は高い。NHKプレミアム8「華麗なる宮廷の妃たち・クレオパトラ」(2010.6.8放送)でも現代キャリア女性にクレオパトラの人生を重ねあわせ、ゲストがその心のうちを解析していくのが興味深い。
キケロはクレオパトラに会った印象を次のように記している。「女王は嫌いだ。ティベリウス河の対岸の別邸にいったときの女王の傲慢ぶりは、思い出すたびに実に腹立たしい」(「友人アティックスへの手紙」)キケロはローマ滞在中のクレオパトラにかなりぞんざいに扱われたらしい。クレオパトラにも傲慢な一面があったと考えるべきだろう。クレオパトラは小柄で痩せ型だったようだが、正しい容貌はよく分からない。プルタークが伝えるところではクレオパトラは特段の美女ではなかったらしい。「彼女の容姿は会話の際には説得力があり、また同席している人々にいつの間にか浸みこむ性格を持っていて、針のように人の心にはいりこんだ」とある。13ヶ国語を話す会話上手の一面が現れている。
シーザーやアントニーとの関係は恋だったのか、政治的打算だったのか。吉村作治はエジプト女王という立場にあるクレオパトラの政治力を強調する。現代女性が思い描く女性像ではないと指摘する。その裏づけとしてアクティウムの海戦でこれまでクレオパトラは敵前逃亡したと言われてきた。ところがクレオパトラ率いるエジプト艦隊60隻は大型軍船からなるもので財宝を積んでいる。これらを無事本国に帰還させるといことは再起を図るねらいがあった。当時、戦いにはマストと帆は積まないことになっているが、あらかじめマストと帆を積んで戦場にのぞんだことは退却も想定していたことである。クレオパトラは戦局を見る冷静な判断力をもった司令官でもあったのだ。
最後に、吉村はクレオパトラの魅力は容貌の美しさよりも、教養の高さ、着こなし、飾り物の豪華さ、化粧のうまさ、洗練された優雅さにあったと指摘している。「シーザーはクレオパトラの教養の深さに驚き、夫のいうことをただ黙って聞き、家事にあけくれるローマの女に比べ、何という違いだろうとため息をついたに違いない」と記している。(参考:吉村作治「クレオパトラの謎」講談社現代新書) 8月12日
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