円空と芭蕉
生涯を旅の中に送った漂白の詩人といえば「奥の細道」の俳人・松尾芭蕉(1644-1694)を思いうかべるだろう。だが円空(1632-1695)という謎の僧も苦難の旅を生涯続けながら、10万とも12万ともいわれる多数の仏像を彫り続けた。円空は元禄8年7月15日に関市の弥勒寺で亡くなっているが、芭蕉も前年に世を去っているので、二人が旅の途中に出会っている可能性もある。だが二人の旅は対照的だったともいわれる。自己を追求した芭蕉に対して、円空は他者救済に自らの生涯を捧げた。富士川で芭蕉は捨て子に出会うが、食べ物を与えたものの、「汝の性のつたなきを泣け」と突き放して去っていく。円空は美濃の宿に泊まっていた。宿屋の主人は円空の身なりをみて、寒さしのぎの半纏を贈った。ところが円空は旅の途中で物乞いの女に出会いその半纏をあげただけでなく、持っていた金もすべて与えてしまった、という逸話が残されている。江戸時代初期、みちのくは未開の地という観があるが、円空は芭蕉よりもさらに遠く、北海道に渡り、2年ほど滞在している。芭蕉の旅にくらべ、円空の旅は想像を絶する過酷なものだったであろう。
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