盧溝橋事件おこる
昭和12年7月7日、北京西南の盧溝橋で起きた日本軍と中国軍との衝突事件は、もともとは銃が聞こえただけの小事件だった。陸軍参謀本部作戦課長の河辺虎太郎(1890-1960)の元に届いたのは8日早朝のことだった。「厄介なことが起こったな」それが軍務課長・柴山兼四郎の電話の第一声だった。第三課長・武藤章は「愉快なことが起こったね」と言っていた。一方はこれを何かもみ潰しをしなければならなぬという風に思い、一方では此奴は面白いから油をかけて燃やそうという気持ちの違いがある。(「河辺虎太郎少将回想応答録」)不拡大派と拡大派の対立を象徴するような言葉だった。小事件が全面衝突に発展して、日本が破滅への道を歩んだのは、後の歴史が語る通りである。このとき第1連隊長として攻撃命令を行い指揮を取っていたのは、のちにインパール作戦で多くの部下を餓死させた牟田口廉也である。
盧溝橋事件を契機に起こった日中戦争は国家総力戦となり、政府による国民の戦争への総動員と国家総動員法をてことする戦時統制経済への移行が強力に推進された。昭和14年9月に第二次世界大戦が勃発すると、日本は不介入を声明したが、翌年には日独伊三国同盟を結んで米英との対立を深め、国内では大政翼賛会を結成し、ファシズム体制を成立させた。昭和16年12月、日本は真珠湾攻撃を行いアジア・太平洋戦争へと突入した。
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