第一次世界大戦おこる(1914年)
大正3年6月28日、ボスニアの首都サライェヴォを訪問中のオーストリア皇太子夫妻が、セルビア一青年、ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺されるという事件(サラエボ事件)がおきた。翌7月28日、オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦すると、これをきっかけにドイツ、オーストリアの同盟国側と、ロシア・フランス・イギリスの連合国側との間に戦争がはじまった。ドイツは、中立国ベルギーに侵入してフランスをやぶり、ついで全軍をロシアとの戦いに投入する計画(シュリーフェン・プラン)により、パリに急進撃した。しかし、イギリスとフランスの連合軍の反撃にあい、短期決戦のもくろみは失敗し、ここに第一次世界大戦となった。戦争は、勃発したときはせいぜい半年つづくものと思われた。ところが、予想を裏切って4年以上にわたる長期戦になり、しかも物量戦にもなったため、国家は、経済全体を戦争を支えるために動員し、国民の日常生活にも大きく干渉した。
日本は、日英同盟にもとづいて連合国側に加わり、ドイツに宣戦を布告して参戦した。陸軍はドイツのアジアにおける根拠地青島をおとしいれ、海軍はドイツ領の南洋諸島を占領した。中国での権益の拡大をはかった大隈内閣は、翌大正4年、袁世凱政府に二十一か条の要求を示し、その大部分を承認させた。 Schlieffen-Plan
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オーストラリア皇太子夫妻ではなくて、オーストリア皇太子夫妻では?
投稿: | 2016年7月30日 (土) 17時10分
お詫び、訂正します。
投稿: ケペル | 2016年7月31日 (日) 08時22分