マリー・アントワネットとクロワッサン
パリ五輪の開会式。マリー・アントワネットに扮したと思われる女性が赤いドレスに身にまとい、自身の生首を抱えて歌い始めた。この奇抜な演出には賛否が分かれた。マリー・アントワネットはいまでも世界史で最も有名な女性の一人でエピソードも数多くある。バターをたっぷり練り込んだ生地を重ねて焼き上げたパン「クロワッサン」。クロワッサンが生まれたのは17世紀後半のオーストリアのウィーンである。オーストリアはトルコと戦争をしていた。ウィーンを包囲したオスマントルコ軍は、地下道を掘ってウィーンを陥落させようと目論んでいた。ところがある日、地下の工房で働いていたウィーンのパン職人が、トンネルの掘る怪しい音に気づいて軍に通報。彼の通報のおかげでオスマントルコ軍を撃退できたのである。オーストリアの皇帝はパン職人の功績をたたえ、喜んだパン職人は、戦勝を記念してオスマントルコの国旗に描かれた三日月の形をパンを焼いた。これがやがてフランスに伝わり、現在のクロワッサンになったといわている。それはあのマリー・アントワネットが大きくかかわっている。1755年11月2日、神聖ローマ皇帝フランツ1世と女帝マリア・テレジアの第15子としてウィーンのシェーンブルン宮殿で生れた。14歳でフランス王ルイ16世の妃としてベルサイユへ輿入れした。盛大な結婚式のとき、オーストリアからパン職人も連れてきて、「キプフェル」という三日月形のパンも食卓を飾った。その後、パリのパン職人も皇太子妃を歓迎する意味で、これを作るようになった。フランス語では三日月をクロワッサンというので、「キプフェル」は「クロワッサン」と名を変えて世界中で知られるようになった。
マリー・アントワネットがどんなに思慮のない、浪費家だったかを物語るエピソードは多数の残されているが、お菓子に関する話を一つ。パリの飢えたおかみさんたちが「パンをよこせ」と叫んで、雨の中をベルサイユ宮殿に押し寄せた。その時彼女は、人民どもはなんだってあんなに騒いでいるの、と側近のものにたずねた。パンがないのですからと答えると、彼女は「パンがなければブリオッシュ(一種の菓子パン)を食べればいいじゃないの」と言ったと伝えられている。
マリー・アントワネットは、軽佻浮薄、乱費贅沢の限りをつくしたといえども、一掬の涙を誘うものがある。むかし深田恭子が「わたしはチョコレートが好きでマリーもチョコが好き」とか、誕生日(11月2日)が同じで「私はマリー・アントワネットの生まれ変わり」と言っていた。
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