パリは汚い
パリの空の下、セーヌは流れる。花の都パリを流れるセーヌ川だが、実は日本一汚い淀川をはるかに上回る汚染度で、泳ぐことはおすすめしない。さいきん水質検査をしたところ、コロナウイルス感染者の排泄物に含まれるウイルスが下水からセーヌ川に流れこみ、そこから取水したのが原因だと考えられる。パリ五輪開幕(7月26日開会式)まであと一月余りだが、セーヌ川は開会式とトライアスロン、マラソンスイミングの会場となる。しかし水質の問題で競技が本当にできるのか心配の声が上がっている。
ファッション雑誌やフランス映画に憧れ、パリ暮らしを始めた日本人女性がよくかかる病が「パリ症候群」。理想と現実の差にショックを受ける一種の適応障害のような病気だそうだ。パリの街も路上に散らばるゴミや、壁に描かれたスプレーの落書きなど悲惨のものである。
しかしシャンソンやシネマ、絵画で馴染みのある風景にはエッフェル塔とセーヌ川が良く似合う。パリを東から西へと流れるセーヌ川には、37の橋が架っている。最古の橋は1578年5月31日から起工し、1607年まで30年を費やして完成したポン・ヌフ(新橋)である。パリ中心部のシテ島の対岸に店を連ねる古書店はパリの観光名所の一つでもあるが、1606年にポン・ヌフ橋上で露店を開いたのがきっかけで広がったといわれる。街の東外れにあるベルシー駅方面がセーヌ川の上流にあたる。一番初めに上流に架かる橋はアモン橋。アモンとは上流という意味である。続いて、ナシオナル橋、トルビアック橋、シモーヌ・ド・ボーヴォワール橋、ベルシー橋、シャルル・ドゴール橋、オステルリッツ高架橋、オステルリッツ橋、シュリー橋、マリー橋、ルイ・フィリプ橋、トゥオネル橋、サン・ルイ橋、アルコル橋、ノートルダム橋、プティ・ポン、シャンジュ橋、サン・ミッシェル橋、ポン・ヌフ、ポン・デ・ザール、カルーゼル橋、ロワイヤル橋、レオポール・セダール・サンゴール歩道橋、コンコルド橋、アレクサンドル三世橋、アンヴァリッド橋、アルマ橋、ドウビリ橋、イエナ橋、ビラケム橋、ルエル橋、グルネル橋、ミラボー橋、ガリリアーノ橋、アヴァル橋、イッシー橋。37番目がタンカルヴィルとマレ・ヴェルニエ間に架かる吊り橋「タンカルヴィル橋」。
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1853年6月30日夜、「セーヌ県知事Le département de la Seine」ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン男爵Georges-Eugène Haussmann、皇帝ナポレオン3世NapoléonⅢの居室で、3世自ら手を入れた、新しい「通りrue」が4色で塗られた「パリ地図」を示され、「パリ改造Haussmannisation」を命ぜられたことからパリ改造が始まり1855年、オスマン男爵は土木局の土木技術者ウジェーヌ・ベルグランEugene Belgrandを「上下水道システム」の責任者に任命、「上下水道システム」に着手。1867年4.1「第2回パリ万国博覧会Exposition Universelle」が開催される。 ① 人々は、オスマン男爵NapoléonⅢとオスマンHaussmannの成し遂げたものに感嘆する。➁「シャン・ド・マルスChamp de Mars(練兵場)」(7区)に「帝政」の祝典がル・プレLe Playによって組織される。 ③ 日本(幕府、薩摩藩、佐賀藩)が正式に参加し、「ジャポニズムJaponisme」のきっかけとなる。
という風にオスマン男爵が現在のパリを創造したと言えるだろう。詳しくは鹿島茂の「皇帝ナポレオン3世」の一連の著作を。街を歩くとロンドンに比べパリの壮麗さは確かに感じた。ベルサイユ宮殿のトイレットペーパーは赤色だった。
投稿: 鹿島茂 | 2024年6月 6日 (木) 20時49分