映画「カサブランカ」
いまさら書くこともない名作「カサブランカ」であるが、アメリカで一般公開されたのは1943年1月のことで、ちょうどルーズヴェルトとチャーチルがカサブランカで会談を始めたころであった。そして翌年には第16回アカデミー作品賞と監督賞を獲得している。この映画には連合国側のプロパガンダ的要素があり、受賞も時局の要請であった。評論家たちはこの作品はあまり評価していなかった。アメリカで評判が上がるのは、名画座などで繰り返し上映される1960年代後半からである。日本公開は1946年6月20日であるが、敗戦にうちひしがれた日本人が連合国側の自由にどれほど共鳴したかは疑問である。もちろんバーグマン人気は上がってきたが、むしろ「誰がために鐘は鳴る」「ガス燈」「聖メリーの鐘」「白い恐怖」「「サラトガ本線」「汚名」「凱旋門」と作品が続々と公開されたからである。「カサブランカ」の人気に火がついたのはリバイバル上映によるものである。
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ケペル先生。一般にはカサブランカ会談は知られていないと思われるので勝手に補充させていただきます(私もいろいろと読んでいるので引用元は忘れました)。1942年11月11日|モロッコ/フランス/イギリス/アメリカ|連合軍がカサブランカを占領。「1943年1月14日|イギリス/アメリカ|カサブランカ会談(~1月23日.~26日説の2説あり)--アメリカのF・ルーズベルト大統領とイギリスのW・チャーチル首相が、モロッコのカサブランカで開いた第3回連合国戦争指導会議。ソ連首相のスターリンは欠席していた。中国の蒋介石は招待されていなかった。ソ連は、この時、ドイツの200個師団(約200万人)と壮絶な死闘を繰り広げていた。1941年6月以降、イギリスは、ドイツとの本格的な交戦を避けるようになった。この会談の最終日に、ドイツ、イタリアと日本の無条件降伏をルーズベルトは示した。
投稿: ハンフリーボガート(ボギー) | 2024年6月22日 (土) 09時14分