無料ブログはココログ

« ミルクキャラメルの日 | トップページ | 傘の日 »

2024年6月11日 (火)

啄木と橘智恵子

Photo
 弥生小学校の女教師たち(右から2人目が橘智恵子)

    明治40年6月11日、石川啄木(1886-1912)は、友人吉野白村の世話で、函館区立弥生尋常小学校の代用教員となる。月給12円。彼が21歳のときである。弥生小学校で同じく代用教員をしていた橘智恵子(1889-1922)を知る。啄木は智恵子を「まっすぐに立てる鹿ノ子百合」と表現し、智恵子に魅かれていた。智恵子の実家は札幌郊外にあり、林檎園を営んでいた。明治43年5月、智恵子は北海道岩見沢の牧場主北村謹(きん)と結婚する。啄木は上京するが、貧困生活の中、体調を崩し、それを風の便りに聞いた智恵子は当時高価であったバターを送った。

 石狩の空知郡の

 牧場のお嫁さんより送り来し

 バタかな。

    智恵子は、北村に嫁いで12年後の大正11年11月1日に6人目の子供を出産した後、産褥熱のため33歳で亡くなった。

智恵子さん!なんといい名前だろう!あのしとやかな、そして軽やかな、如何にも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!二人の話をしたのは、たった二度だ。一度は大竹校長のうちで、予が解職願をもって行った時。一度は谷地頭のあのエビ色の窓のある部屋で、そうだ、予が「あこがれ」を持って行った時だ。どちらも函館でのことだ。ああ!別れてからもう二十ヶ月になる!(日記より)

Img

« ミルクキャラメルの日 | トップページ | 傘の日 »

女性」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ミルクキャラメルの日 | トップページ | 傘の日 »

最近のトラックバック

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31