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2024年6月12日 (水)

清水次郎長没

P6260061    清水次郎長こと山本長五郎(1820-1893)は文政3年1月1日、清水港の美濃輪に居住していた船持船頭高木三寿郎の子として生まれたということになっているが、清水市役所の戸籍簿には、文政3年12月10日出生とあり、いずれが真実かわからない。が,元旦生まれの子は賢才でなければ極悪人になると,親戚が迷信をかついで、他家へやったほうがよいということになり、三寿郎の妻とよの実弟で、「甲田屋」という米穀商を営んでいた山本次郎八へ養子にやられたというから、元旦生まれが正しいのかもしれない。もっとも,長五郎は4人兄弟の末っ子で次男だったから、もともと高木家には不要の子であったとも考えられ、元旦生まれ云々の説は、後からの作り話のようである。次郎八のところの長五郎というので、おいおい、次郎長の通称でよばれるようになったのである。維新後、囚人を使役して富士の裾野開墾に従事。清水の発展に尽力した。明治26年6月12日没。享年73歳。  (青山光二「任侠の群像 日本の歴史10」暁教育図書株式会社 1975)

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コメント

ケペル先生、次郎長の享年は明治26年6.12病死とあります。明治17年4.7山本長五郎(清水次郎長)、賭博で懲役7年、罰金400円に処せられる,という記事があります。その前後の事情は国史大辞典を引いて分かりました。「明治十七年二月二十四日、松方デフレの不景気の中で、次郎長は江尻警察署に逮捕されている。その罪状は、表の商売が農間薪炭商でありながら、家宅捜索の結果武器と賭博用具が発見されたことである。かくして懲役七年・過料四百円に処せられ、静岡井之宮監獄に収監されたが、翌年山岡らの奔走で仮出獄している。」。山岡は山岡鉄舟のこと。国史大辞典に項目を設けられているのですから、次郎長、以て瞑すべし。

お詫びと訂正します。かつては講談・浪曲で国民的な人気者だった次郎長や吉良仁吉、森の石松、国定忠治も暴力追放の世の中で語られることはなくなったようです。

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