床屋の元祖は外科医だった(理髪店の回転看板)
Q。理髪店の前でぐるぐる回っている赤・白・青のらせん状の看板をなんというか。三択で。
1.有平棒
2.サイン・ポール
3.バーバーズ・ポール
答えは、なかなかややこしい説明を要する。日本では、明治の初め頃、散髪屋は、西洋床といわれた。最初の西洋床は明治2年、横浜の南京町と、東京のぎんざに開店した。横浜で開業したのは小倉虎吉という人である。今でも理髪店の店先に見られる、赤・白・青のらせん状の看板は当時、有平棒(あるへいぼう)とよばれ、明治4年、東京の庄司辰五郎という人が初めて使った。これは西洋のまねで、他の理髪店もこれにならった。有平棒の名は、安土桃山時代にポルトガルから伝来した南蛮菓子の有平糖(ねじれた形で色分けされていた)に似ていたことに由来する。しかしながら、「有平棒」とはさすがにおかしな名称なので、今では「サイン・ポール」というのが一般的ではある。ところが、広告業界で「サイン・ポール」といのは、地上広告塔、つまり立て看板という広範囲な意味である。つまり、サイン板とポールを組み合わせたサイン・スタンドのことをいい、理髪店の看板だけを意味する名称ではない。海外(英語圏)では、バーバーズ・ポールとよんでいる。
ちなみに、なぜ赤・白・青の色なのか。通説では赤は動脈、白は包帯、青は静脈を表わしているといわれるが歴史的にみると正確ではない。一説によると、中世ヨーロッパ、髪を切る行為は手術などのために毛を剃る行為と一緒で、理髪と外科医とが同一職業だったことから、あのような看板になったとか。瀉血という治療のために静脈の血を抜くこともしていた。瀉血に使用するポールは血で染まるため、めだたぬように赤色に塗られていた。そしてそのポールは包帯を洗って干す棒としても使われていた。そして店先に45度の角度で置かれたことが、外科医の象徴となったことが、サイン・ポールの由来である。やがて理髪店は外科医と分離し、その頃に青が加わったという。赤白青の看板が最初に使われたのは1540年頃、フランス・パリの外科医メヤーナキールが初めて創案したものである。
我が国で今日のようなスタンド型サインポールが登場したのは昭和8年からである。竹鼻商店(現・菊星)は、昭和8年、電動式の「スタンド型サインポール」(40円)を発売した。
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