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2024年5月30日 (木)

沖田総司没す(1868年)

 新選組一番隊組長、沖田総司は試衛館に内弟子として入り,十代にして免許皆伝を取得した新選組最強の天才剣士である。沖田は慶応4年5月30日(明治元年)、江戸・千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に匿されて、病死した。享年については、生年が明確でないため、24歳・25歳・27歳の3説が存在する。沖田総司の実像は容姿など不明なところが多いが、司馬遼太郎などの作家によるフィクションの影響が大きい。 時代劇チャンネル「新選組血風録」第7話。沖田総司(島田順司)は懇意の刀屋播磨屋道伯から名刀の菊一文字を借りた。鎌倉期の古刀の代表的なもので、最も有名なのは、足利家重大の宝刀といわれた「二つ銘則宗」が京都の愛宕神社所蔵のもので国宝である。則宗は備前福岡の刀工で、いわゆる福岡一文字派に属し、後鳥羽上皇の後番鍛冶に列し菊花紋章を彫ることをゆるされたため、俗に菊一文字といわれる。

    司馬遼太郎の原作では、近藤勇の虎徹と土方歳三の和泉守兼定、それに菊一文字則宗を横に置きならべてみる描写がある。「虎徹は厚重ねで反りは浅く、姿には、この道でいう怒味と武骨味をもち、いかにも人切り包丁といった凄みがある。むろん、虎徹にもそれなりに品位はある。だが、しかし鎌倉の古刀である菊一文字には遠くおよばない。要するに、神韻縹渺としたところが、兼定にも虎徹にもないのである」「細身は当節はやらない。重さで切れるようなものが、幕末の流行であった」とある。

   ドラマでは、三人の差料を比べるシーンはない。土方は沖田に「俺の刀を貸そう」というと、沖田は笑って「土方さんのは重いから結構です」という台詞がある。

   ドラマ「菊一文字」は沖田総司が医師半井玄節(原健策)に診察してもらったところ、「安静が必要であり、このままだとあと5年しか生きられない」といわれる。天真爛漫な性格と労咳という沖田総司の明と暗のイメージがお茶の間に浸透したと思われる重要な回である。「刀の命は七百年、おれの命は二十五年か」若くしてこの世を去った沖田の命と古刀との対比も鮮やかである。結束信二の脚本も原作の持ち味を十分に出している。何よりも月代の似合う島田順司は沖田総司の役のために生まれたといってもいいほど似合っている。沖田を慕う医師の娘お悠に当時、「忍びの者」で人気があった清純派の鈴村由美がでている。ドラマでは菊十文字を大切にするあまり、陸援隊の戸沢鷲郎を沖田が殺さなかったために同僚の日野助次郎が死んだ。土方が「刀は飾り物ではない。あの時、戸沢を斬っておれば、日野は死なずに済んだ」と沖田に言う。沖田は菊一文字で戸沢を殺し日野の復讐を果たす。しかし、沖田が菊一文字を使ったのは、このときだけだったという。刃こぼれ一つしなかった。

Kiku    しかし、実際に沖田が菊一文字を所持していたという可能性はほとんどない。当時、大名すら入手は難しく、実践では不向きな刀。これは下母澤寛の著作に「沖田の刀は菊一文字細身のつくり」とされたことが広まったものという。現在も菊一文字という屋号の刃物屋が京都にある。包丁、鋏などを販売している。「桐箱入り鶴亀卸し金セット」など贈答品に人気がある。価格5775円。だいこん卸しに使うには畏れおおい気がする。

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