実篤論
明治18年のこの日、武者小路実篤は武者小路実世と勘解由小路家出身の秋子夫妻の第8子として東京市麹町区元園町1ノ38(現在は千代田区麹町二番町6)に生まれた。昭和2年創刊の岩波文庫にはすでに実篤が収められてい。夏目漱石やトルストイなど文庫23点のうち、意外な感のあるのは武者小路実篤の「幸福者」である。当時実篤は42歳であったし、「幸福者」刊行して8年しか経ておらず古典という評価はなかったと思う。新しき村への世の中の関心が高かったのであろうか。若い頃はトルストイに傾倒しながら、実篤は数年後、戦争協力者になっていく。文体は平易であるが、文学性には乏しい。思ったことをなんでもありののまま素直に書いて作家的地位を確立した人であり、思想的には本質的に死ぬまで貴族の立場の人であった。だが、私は実篤の書いたものは、どんなものでも何度でも繰り返し読みたくなる。単純明快で気持ちがいい。たとえばこんな文章。
「人間はたえず進むべきである。他の人のことは問題にするな。するなら、自分が尊敬しないでいられない人々を問題にすべきだ。元気に何ものも恐れずに生きる点ではホイットマンを。寂しくってまいっている時は、もっと苦しい谷をさまよったドストエフスキーを。良心のするどさでは、トルストイを。おちつきはらってまちがいない道を悠然と歩く点ではゲーテを。勿論、そう簡単に言い切れないが、我等は我等よりすぐれた人々がこの世界に何人も何人もいてくれたのだから、その人達のことを思って、自分の力の不足を知るべきだ。自分の力の不足を先ず知ることは、人間を不平家にしない。「勉強、勉強、勉強のみよく奇蹟を生む」自分はそう思っている。(「人生論」 昭和13年) 5月12日
« 女優は歌う | トップページ | 大相撲は群雄割拠の時代へ »
実篤の日記を読んでいるのですが・・北海道の同人雑誌「人間像」の主宰者である福島昭午さんから、大正12年発売の実篤全集を借りて読んでいたところでした・・。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月 8日 (月) 21時52分