江戸城の本丸焼失(1844年)
天保15年のこの日、夕刻に起きた大火災は、本丸の広敷一の側から出火して城内ことごとくを焼いた。大奥、表御殿、黒書院、柳営御殿を全焼、長屋門も類焼した。天守は明暦の大火以来再建されておらず、新たな被害は出さずにすんだ。とはいえこの時代、江戸城はたびたび大火が起こった。ときの将軍は12代徳川家慶。家慶の一般的な評価は、何もなしえていない凡庸な将軍、「そうせい様」と呼ばれていた。だが天保12年に大御所・家斉が病没すると、水野忠邦を老中に据えて天保の改革を断行するなど、意外とデキる男であったらしい。大奥の正室は楽宮喬子(浄観院)であるが火災の時は既に他界しており、大奥は家定の生母・お美津の方(のちの本寿院)が実権を握っていた。この年12月、元号を弘化と改める。ペリー来航まであと9年のことである。(5月10日)
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